ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell) の1971年アルバム『Blue』に収録されている楽曲「Carey」は、1970年初頭、ギリシャのクレタ島にある洞窟に住むヒッピーのコミュニティで、ケアリー・ラディッツと共同生活を送っていた時にインスピレーションを受けたものです。この曲のインスピレーション源となったラディッツは、The New Statesman誌のインタビューに応じ、ミッチェルとの関係について語っています。
2人は、ミッチェルがクレタ島のマタラを訪れた際、出会いました。ミッチェルが自分の才能とそれがもたらす名声の高まりとの付き合い方を学んでいた時期で、2人は洞窟で共同生活を送りました。
現在75歳のラディッツはインタビューの中で、2人の最初の出会いは、彼がシェフとして働いていた大衆食堂(タヴェルナ)で、床に捨てたゴミを片付ける彼のことを彼女が手伝おうとしたことがきっかけでした。
ラディッツは当時について「自分が犯罪的に正気を失っているのではないかと思った」と言い、そして「俺は本当に気性が荒かった。自分には洞察力や視野を広げる力があると思っていたんだ。カメレオンのような気分だった。ものすごく情熱的で、物事や女性に対する欲望が圧倒的に強かった」とも話しています。
彼はミッチェルを知るにつれ、彼女のことを「素晴らしい」と思い、「彼女は、友人や周囲の環境、自分の感情や気持ちを讃えて、歌い、笑い、音楽を作り、絵を描き、物を作ることをやめないんだ」と話しています。
彼は、自分が「強力なナルシストの遺伝子」に苦しんでいると述べ、ある夜、ミッチェルが何人かのジャーナリストに声をかけられたことで、二人の関係がうまくいかなくなったと語っています。「嫉妬を感じたんだ。俺は(曲中にも出てくる)杖で彼らを叩こうと思った。しかし、彼女は...俺に嫌な顔をして、ただ彼らに来て座って話をするように言ったんだ。そこで俺は、変化があったことを悟ったのだと思う。彼女の人生が本当に変わったのはこの時なんだ。何週間か経ってから、それまでは、どこか人の影響を受けていたのが、自分で原因を作るようになったんだよ」
ラディッツは、その後、ロサンゼルスのミッチェルの家に泊まりに行きましたが、ミッチェルがそこの人々から感じたプレッシャーに「干渉する」 ために自分が利用されているのではないかと思い始めたことを語っています。
ラディッツは、1970年のワイト島フェスティバルでのミッチェルのパフォーマンスに参加し、その後、彼女がジェイムス・テイラーと交際している間も親しくしていました。いつも連絡を取り合っていたわけではありませんが、友人であることに変わりはなく、最近では72歳の誕生日を迎えたときに彼女と一緒に過ごしたという。
ラディッツは「Carey」を「愛すべき小さな流行曲」だと思っていたと述べています。曲中で「意地悪な人」と表現されていることについて聞かれたラディッツはこう答えました。「俺の不機嫌さ、勝手なアドバイス、彼女への上から目線、気性の荒さ、そして一般的な意地悪さから考えれば、当然のことだと思うよ」
ラディッツはまた、何年もの間、「Carey」が書かれなければいいと思っていたことを認めました。「俺はそのことを話したことはない。誰にも知られたくなかったんだ。みんなが俺と話したいのは、俺と彼女の関係だけだったから......。俺はキャリーというキャラクターから多少距離を置くようになったことで、キャリーは人々の心の中で様々な形で生きていくことができ、俺をあまり悩ませることはなくなったんだ」
ラディッツはさらに、「俺はジョニが好きだよ。彼女がある状態にならない限り、彼女は良い仲間だ」と言い、なぜ、関係がうまくいかなかったと聞かれると、彼はこう答えました。「うまくいったよ」
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