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トニー・マーティン、ディオとの関係に悩んでいたブラック・サバスから呼び戻されて92年作『Dehumanizer』のデモを録音したことを振り返る

2022/01/03 19:21掲載
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Tony Martin
Tony Martin
1980年代後半から90年代中頃にかけてブラック・サバス(Black Sabbath)に在籍し、5枚のアルバムでリード・シンガーを務めたトニー・マーティン(Tony Martin)。彼は、サバスがロニー・ジェイムス・ディオ(Ronnie James Dio)を迎えた1992年のアルバム『Dehumanizer』時代にバンドを離れていますが、ディオとの関係に悩んでいたトニー・アイオミ(Tony Iommi)ギーザー・バトラー(Geezer Butler)から呼び戻されて、『Dehumanizer』のためにいくつかのデモを録音したことを、Almost Humanのインタビューの中で振り返っています。

「(『Dehumanizer』のセッションが始まる前に)彼らは俺を解雇した。全くの驚きだったよ。全く予想していなかったんだ。実際、次のアルバムのリハーサルに行くために出ようとしたら、ちょうど電話が鳴ったんだ。電話の向こうには俺のマネージャーがいて“座ったほうがいいぞ”と言ったので、俺は“続けて。何?”と言った。すると彼は“彼らはもう君を必要としていない”と言ったんだ。(俺は)“えっ、冗談でしょ”と言った。全く予想していなかっんだ。そうか、そうか。あまりにもショックで、何と言っていいのか、何をしていいのかわからなかったんだ。

でも、数週間で復帰した。4、5、6週間だったかな。トニー・アイオミから電話があって、“(ディオと)うまくいっていない”と言われたんだ。俺は“そうなんだ”と言うと、彼は“戻ってきてくれないか”と言った。俺は“いや、戻れないよ。もうソロ活動を始めているし、前に進んでいるんだ”と言うと、彼は“わかった。いいよ”と言っていた。

それから数ヶ月が経ち、彼はまた電話をかけてきた。彼は“本当に戻ってこれないのか?本当にうまくいかないんだ”と言われたんだ。それで、レコーディング中のスタジオに誘われたので、行ってみたんだよ。メロディーなどを作ろうとしていたんだけど、いつものように時間がなかった。そこで俺は“もし俺がこれをやるなら、全部書き直さなければならない。この作品を持ち帰り、じっくりと考えてみる必要がある”と言ったんだ。すると彼らは“そんな時間はない”と言った。(だから俺は)“お任せします。たぶん、一番いいのはディオと続けることで、そのあとで話しましょう”と言った。だから、ディオの時代になっても、つながりはあったし、トニーとはまだ話していたんだ。実際、俺の地元で行われた(彼らが出演した)ライヴには、ディオと一緒に行った。ディオは俺が来たことを全く喜んでいなかった。明らかにトニー・アイオミが俺を招待していたからね。ディオがステージから降りてきた時にも俺はまだバックステージにいたので、彼はそのことに全く感心していなかったんだ。『Dehumanizer』では、ほとんどの期間に、つながりがあったんだよ」

『Dehumanizer』のためにスタジオ・レコーディングをしたかどうか尋ねられたマーティンは、次のように答えています。

「ああ、やってみたよ。ただ、彼らが(ディオと一緒に)やったものよりも良い音を出すことはできなかったんだ。それに、トニー・マーティンらしい音にしなければならない。俺の音が嫌なら、俺に依頼する意味はない。だからその時点では“人のものをコピーし続けるのは本当に嫌だな”と思っていたんだ。努力はしたし、実際にいくつかのデモを作ってみた。でも、俺は非常に疑問に思っている。実際のところ、99%の確率で(それらの録音は)何も残っていない。俺が試したもののうち、いくつかを録音したカセットがあるけど、それは本当にひどい品質のもので、ただのカセットだ。ただ、あの日のことを思い出すだけのものだよ。ああ、確かにやってみたよ。でも、彼らがやっていたことを、自分がもっとうまくできるとは思えないんだ。だから、俺たちは次の段階に進むことにしたんだ」