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ローリング・ストーンズ ツアーメンバーのティム・リース、友人チャーリー・ワッツについて語る

2021/09/03 12:48掲載
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Tim Ries, Benny Golson, Charlie Watts
Tim Ries, Benny Golson, Charlie Watts
ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)のツアー・メンバーとしてサックスやキーボードを担当したティム・リース(Tim Ries)。ドラマーのチャーリー・ワッツ(Charlie Watts)とは、ジャズ好きが高じて、数々のコラボレーションを実現してきました。ワッツとの20年間の友情の中で特に印象に残っていることをリースが語っています。米ラジオ局NPRより。

「ローリング・ストーンズとの最初のツアーで、“Moonlight Mile”の演奏中にチャーリー・ワッツを見たことを覚えている。僕のキーボードは、チャーリー・ワッツのドラムセットの近くに設置され、彼と向き合っていた。アリーナではなく、小さなクラブのステージにいるようだった。

僕は1999年1月に、このバンドの素晴らしいアンサンブルの一員として雇われまた。ボビー・キーズ、トランペットのケント・スミス、トロンボーンのマイケル・デイヴィスと一緒にホーンセクションでサックスを演奏したり、チャック・リーベルの隣でキーボード、ピアノ、オルガンを演奏していた。

しかし、ドラム・パートがマレットで演奏されるこの曲では、チャーリーに耳を傾けても、ジョン・コルトレーンの後ろでマレット・パートをプレイしているエルビン・ジョーンズの演奏にしか聴こえなかった。

ニューヨークに戻ってからも、その思いは消えなかった。次のジャズアルバム『Alternate Side』をヨーロッパのレーベルCriss Crossで録音したとき、自分が経験したことへのトリビュートとして“Moonlight Mile”のインストゥルメンタル・ヴァージョンをこっそり入れた。チャーリーの演奏がどうしても忘れられなかったからね。

ワッツがジャズ、それもアメリカの偉大な音楽であるスウィングを愛していたことは周知の事実だ。イギリスで育ったワッツが聴いていた多くの素晴らしいドラマーたちの遺産を通して、その愛がいかにストーンズのサウンドを形成するのに役立ったかについては、多くのことが書かれている。しかし、彼を知る人は、彼の人生は時間を守ることではなく、友人や見知らぬ人たち、そしてバンドスタンドであろうとなかろうと、彼が愛する音楽に時間を与えることで定義されていたと言うだろう。

次のストーンズのツアーの直前、40周年記念のコンピレーションアルバム『Forty Licks』のために僕は一つのアイデアを思いついた。ジャズ・グループが演奏できるようにバンドの楽曲をアルバム一枚分アレンジするというものだった。

演奏者には、ベースのジョン・パティトゥッチ、ドラムのブライアン・ブレイド、ギターのベン・モンダー、ピアノのビル・チャーラップといった、ニューヨークの音楽仲間を起用した。さらに、チャーリーにも1、2曲参加してもらおうと考えていた。

リハーサルが始まると、念のためにミック・ジャガーとキース・リチャーズにもデモを聴いてもらった。そして、アトランタからロサンゼルスへ向かう飛行機の中で、チャーリーに“セッションに参加してくれないか”と頼んだ。すると彼は“もちろんだよ。キースにも聞いてみてくれ”と言った。

僕はびっくりした。“キースに聞く?”

“そうだよ”と彼は答えた。そして、僕が反応する前に“彼に聞いてみるよ”と言って、彼は飛行機の前まで歩いて行った。しばらくして、彼がキースとロニー・ウッドを引き連れて戻ってきたとき、僕はまだショックを受けていた。キースは“俺たちは皆、仲間だ”と言った。僕は言葉を失った。僕の小さなジャズ・クインテットは、まったく違うものになりつつあった。

次のLAでのセッションでは、チャーリー、キース、ロニー、ストーンズのベーシストのダリル・ジョーンズ、オルガン奏者のラリー・ゴールディングス、そしてバンドのオープニングアクトとしてよく登場するシェリル・クロウが加わり、ラインナップが広がった。

僕のお気に入りであるキースの曲“Slipping Away”と“Honky Tonk Women”を録音した。サックスがリードヴォーカルのパートを演奏し、シェリルとキースがバックで歌った。最後には、チャーリーとラリーと僕以外の全員が帰ってしまった。僕はチャーリーに、ジミー・スミスやブラザー・ジャック・マクダフがやっているように、オルガン・トリオで“Honky Tonk Women”をもう一度やってみないかと頼んだ。チャーリーはすぐにOKしてくれて、3人で1テイクで録音した。ラリーは本格的なグルーヴ感を出してくれたし、チャーリーも一生懸命やってくれたよ。

それからの数年間は、ストーンズのツアーに合わせて、世界各地でレコーディングを行った。最終的には、彼らの音楽を収録した2枚のフルアルバムをリリースした。2005年にConcord Recordsからリリースした『The Rolling Stones Project』と、『Stones World: 2008年にはSunnyside Recordsから『Stones World: The Rolling Stones Project II』をリリースした。ミュンヘンやポルトガル、パリやロンドンでもセッションを行い、ゲストも80人ほどのミュージシャンやシンガーに増え、2枚目ではミックも参加した。僕がチャーリーに参加をお願いするたびに、彼は“イエス”と答えてくれた。

それらのレコーディングが終わった後、僕はオフの日の夜、80年代後半からストーンズのバックで歌っているバーナード・ファウラーと一緒にライヴをするようになった。チャーリーは何度もそのライヴに来て、僕のバンドのメンバーを聴いてくれた。ジャズドラマーが他のグループの演奏を聴きに行くときは、できるだけドラマーに近い席を確保して、ライドシンバルのパターンや左手のテクニック、バスドラムやハイハットのフットワークなど、ドラマーの演奏を間近で観察するという歴史があり、子供のような情熱がある。(ニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードに行くとわかりますが、ステージ上のドラマーの位置のすぐそばに座席があります)。チャーリーは、ドラマーたちを見て刺激を受け、主に遊びに来ていたにもかかわらず、最後には僕たちと一緒にステージに立っていることが多かった。彼は50回ライヴに来て、そのうち48回は座っていたと思うよ。

僕がライヴをしない夜は、チャーリーと一緒に、ニューヨークだけでなく、シカゴ、デトロイト、メルボルン、シドニー、メキシコシティ、東京など、僕たちが通った都市のクラブや劇場でどんなジャズグループが演奏しているかを見に行った。彼は、ロックンロールのツアー生活の華やかさには無関心であったことで有名だけど、ジャズの現場にいるときは本領を発揮していた。彼はすべての猫と一緒にいることができた、彼も猫の一人だったからね。

しかし、そんな彼も時々はスター気分に浸ることがあった。ある夜、ピッツバーグで、フランク・ウェス、ジェームス・ムーディ、ジミー・ヒースがサックス・セクションを務めるディジー・ガレスピー・オールスター・ビッグバンドを聴きに行った。

バックステージでは、チャーリーは少年に戻ったように、自分が3人のヒーローと同じ部屋に立っていることを信じられない様子だった。このままではいけないと思ったとき、ジミー・ヒースが僕たちの注意を引いて、楽屋の中で踊り始めた。このジャズの巨匠は、ミック・ジャガーの真似をして、僕たちを楽しませてくれた。チャーリーはその光景を見て大笑いした。

その夜、僕たちはたくさんの素晴らしい音楽を聴き、ライヴの後には楽屋に行ってミュージシャンと、熱のこもったおしゃべりをした。もちろん、誰もがチャーリーのことを知っていた。しかし、驚いたことに、チャーリーは彼らのことも知っていた。彼は、自分が育ってきた1940年代や50年代のジャズだけでなく、シーンに登場する最新の若手スターの演奏にも興味を持ち、いつも時間を割いて各ミュージシャンを訪ね、おしゃべりをしていた。スターとしてではなく、ただ音楽を愛する一人の人間として。ミュージシャンの多くは僕の友人だったけど、翌日、あるいはその日の夜には必ず電話やメールが来て、いかに特別な体験をしたか、いかにチャーリーが優しく親切にしてくれたかを教えてくれた。

ドラマーがバンドに提供できる最も重要なもの、そして一人の人間が他の人に提供できる最も重要なものは時間だ。チャーリー・ワッツは、僕が知っている誰よりも、このことを体現していた。

彼は自分に多くを与えてくれた音楽を讃えるために時間を使った。彼はジャズの演奏者と一緒にいることを楽しみにしていたが、そのようなときには、バックステージやスタジオで、彼は他のすべての人たち - 友人の友人や会ったことのない人たちも - にも興味を示した。彼は60年近くにわたってローリング・ストーンズのタイムキーパーを務めたが、史上最大のロックバンドのステージに立っていないときは、その時間をすべて返していたんだ」