ラッシュ(Rush)の
ゲディー・リー(Geddy Lee)は、ラッシュが最も苦しい時期に
レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)の
ロバート・プラント(Robert Plant)からの電話で立ち直ることができたことを、英Classic Rock誌の最新インタビューの中で明らかにしています。
1997年8月にドラマーの
ニール・パート(Neil Peart)の19歳の娘セレナが交通事故で亡くなった後、ラッシュは音楽ビジネスから長い休息を取りました。ヴォーカル/ベースのリー、ギタリストの
アレックス・ライフソン(Alex Lifeson)、パートの3人は、再びステージを共にすることができるかどうか確信が持てませんでした。
しかし、リーは英Classic Rock誌のインタビューの中、3人の長年のヒーローの一人であるロバート・プラントからの電話が3人を暗闇から引きずり出すのに役立ったと語っています。
「1998年のアルバム『Walking Into Clarksdale』のツアーで、ペイジ&プラントがトロントに来たんだ」
ジミー・ペイジとロバート・プラントは1998年7月4日にカナダのトロントにあるモルソン・アンプフィシアターでコンサートを行いました。
「僕たちのオフィスに電話がかかってきて、自分はロバート・プラントだ、僕に話があると言っていた。誰も信じなかったけど、結局それは彼でした」
「セレナ(ニールズ・パートの娘)が亡くなった後、僕たちは活動を休止していて、良い状態ではなかった。ロバートに電話したら、ショーに来てほしいと言われたんだけど、その時はかなり落ち込んでいたんだ。彼は“いや、ショーに来て話をしよう”と言っていた。彼はバンドに何が起こっているかを理解していた。彼が言ったことを覚えているよ。“君は人生に再び参加しなければならない、早いに越したことはない。だから早く来てくれ”。それで、アレックスに電話して、ペイジ&プラントを見に行こうと言ったんだ」。
「彼らはとても素晴らしかった。とてもいい人たちだった。長年、尊敬してきた人に会って、彼らが真の紳士だと分かるほど素晴らしいことはないよ」
またリーは、英Classic Rock誌のインタビューの中で、ツェッペリンのファースト・アルバムを聴いた後、ラッシュは「すぐに彼らになりたいと思った」とも明かしています。
「最初のアルバムが発売されたとき、僕たちはウィローデールにある地元のSam The Record Manという店でレコードを手に入れ、家に走って帰って、ベッドに座って“Communication Breakdown”に夢中になったことを覚えているよ。彼らは僕たちに大きな大きな影響を与えた。すぐにでも彼らのようになりたいと思った」。
またリーは「“ヘヴィメタル”という言葉は、ツェッペリンには似合わなかった。彼らはヘヴィメタル・バンド以上の存在だったから。彼らのサウンドには常に驚きがあった。彼らは、他のヘヴィメタル・バンドでは考えられないような影響力を持ち、チャンスをものにしていた」とも話しています。