マイケル・シェンカー(Michael Schenker)は、ポッドキャスト「The Eddie Trunk Podcast」に出演中、1982年に
オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)のギタリストである
ランディ・ローズ(Randy Rhoads)が亡くなった後、オジーのバンドに誘われたと語っています。また
ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)のオーディションを受けないかと誘われたことも語っています。
インタビュアーが「オジーからバンドに誘われたことがありましたか?」と尋ねられたシェンカーは以下のように答えています。
「ええ、ランディー・ローズが墜落事故により亡くなったとき、ギタリストが必要だからっていきなり電話がかかってきた。
ランディはマイケル・シェンカーの一番のファンだった。彼はいつもオジーに俺のことを話していたに違いない。
オジーはあのとき、とてもひどい状況だった。(キーボーディストの)
ドン・エイリー(Don Airey)があのときの彼のバンドにいた。彼は真夜中に俺に電話をかけてきて、一番の選択肢である俺に助けを求め、ツアーを続けるためにすべての曲を覚えてほしいと頼んできた。
でも、俺は(マイケル・シェンカーの1982年アルバム)『Assault Attack』の真っ最中で、(ドラマーの)コージー・パウエルは“マイケル、やめてくれ、今はその最中なんだから”と言っていた。
俺が言いたいのは、俺の決意やビジョンは、UFOやスコーピオンズ、ディープ・パープルなどではできなかった実験的なことをすべてやるということだ。
多くのバンドから参加してほしいと言われたが、すべて断らなければならなかった。俺には、エネルギー、音楽的実験、アコースティック・インストゥルメンタル、エレクトリック・インストゥルメンタルなど、さまざまなものを溢れさせるというビジョンがあったからだ」
またインタビュアーから「ローリング・ストーンズから声がかかったことはありますか?」と尋ねられたシェンカーは以下のように答えています。
「電話がかかってきたのは、ちょうどUFOに参加したときで、同じ月だったか、2ヶ月後だったと思うが、覚えていない。俺は電話を持っていなかったので、家主のところに行って電話に出なければならなかったのだが、そこに“ザ・ローリング・ストーンズのオーディションを受けませんか?”という依頼の電話があった。
俺は“折り返し電話するよ”と言って電話を切ったけど、とても緊張していた。俺はイギリスのバンドから依頼があればイギリスに行くつもりだった。ドイツでは、僕がギターでやっていることを誰も理解してくれなかったし、ディスコミュージックばかりで、マネージメントもなかったからね。
ドイツは、僕が住みたいと思っていた場所ではなかったし、英語も話せないし、ローリング・ストーンズのギタリストの話を聞いたり、雑誌を見たりしていた。すぐに(マイケルの兄でスコーピオンズのギタリストである)ルドルフに会った。
“ルドルフ、ローリング・ストーンズのオーディションの電話がかかってきたんだけど、どう思う?”と言ったら、彼は“君の人生なんだから、君が決断しなければならない”と答えた。
でも、電話を切っていたので、縁がなかったと思うし、そこまでして行きたくなかったので、そうしなくてよかったと思っている。おそらく、彼らに参加していたら、今日俺は生きていなかっただろう。
しかし、それは俺の想像であって、雑誌に掲載されているミュージシャンたちがいかにクレイジーであるかのようなことは、必ずしも真実ではないから」