HOME > ニュース >

デフ・レパードとジム・スタインマン 決裂した『Hysteria』共同作業についてジョー・エリオット語る

2021/04/09 15:21掲載
メールで知らせる   このエントリーをはてなブックマークに追加  
Def Leppard and (inset) Jim Steinman (Image credit: Hulton Archive/Terry Lott/Getty Images )
Def Leppard and (inset) Jim Steinman (Image credit: Hulton Archive/Terry Lott/Getty Images )
デフ・レパード(Def Leppard)はアルバム『Hysteria』の制作初期に、ミート・ローフ『Bat Out Of Hell(邦題:地獄のロック・ライダー)』のキーパーソンであるジム・スタインマン(Jim Steinman)にプロデュースを依頼。8週間にわたる共同作業は最終的に決裂します。当時の逸話をジョー・エリオット(Joe Elliott)が英Classic Rock誌に語っています。

デフ・レパードは前2作をプロデュースしたロバート・ジョン・マット・ラングと共に『Pyromania』に続くアルバムの制作を開始する予定でしたが、マット・ラングが参加できなくなってしまい、またレコーディングのスケジュールは決まっていたため、マネージャーのクリフ・バーンスタインからの提案を受けてスタインマンがプロデューサーとして参加することになります。

ジョー・エリオットは当時のことをこう話しています。

「スタインマンは、プロデューサーではなかった。でも、マットはソングライティングとアレンジメントをサポートするプロデューサーだったので、クリフはレコードのサウンド面よりもソングライティングの部分で助けが必要かもしれないと考えたんだ。クリフは完全に誤解していた。でも当時はスタインマンしか選択肢がなかったので、結局、彼にお願いすることにしたんだ」

ミート・ローフ『Bat Out Of Hell』での実際のプロデュースはジム・スタインマンではなく、トッド・ラングレンが行っていました。

エリオットはマット・ラングに相談したときのことを思い出し、「ラングは“やってみて、ダメだったら、その人を追いだせばいい”と言っていた」と話し、「まさにその通りになったよ。スタインマンは使い物にならなかったからね!」と付け加えています。

エリオットは、初期の段階から違和感を覚えたという。

「ジムは面白い人で、とてもエキセントリックだった。でも、チャールズ・マンソンと20分も話せば“あいつはそんなに悪い奴じゃない”と言いたくなるかもしれないだろう。最初のミーティングで、ジムが俺たちとはまったく違う軌道にいることに気づいたんだ。違和感を覚えた」

初期のセッションでデフ・レパードの懸念は解消されませんでした。

「最初の午後、俺たちはウォーミングアップをしていた。ストーンズ風のゆるいヴァージョンの“Don't Shoot Shotgun”を演奏したんだ。リフとメロディーの一部だけで、コーラスもない状態だった。すると、スタインマンが“この曲はできたと思うよ”と言った。俺たちは皆お互いを見て、フィル(コリン)が“まだチューニングもしていないのに!”と言ったんだ。スタインマンは“ああ、でも雰囲気はあるね”と言った。それは良い兆候ではなかった」

さらに悪いことに、スタインマンはミートローフ『Bat Out of Hell II: Back into Hell(邦題:地獄のロック・ライダーII〜地獄への帰還)』の作曲も行っていたため、デフ・レパードが到着した数時間後にスタジオに入ってくることもしばしばあったという。そのため、エリオットは「スタインマンは俺たちに十分な注目を向けていない」と考えたという。また、スタインマンはテイクアウトで多額の請求をしていました。「彼はメニューを見て、すべてのものを1つずつ注文していた。毎晩、俺たちのお金で、クソみたいな食事の宴が繰り広げられていた」。

エリオットによると、スタインマンがコントロールルームのカーペットの張り替えを要求したとき、事態は頂点に達したという。エリオットは他のメンバーに「カーペットを変える前に、プロデューサーを変えるべきだ」と言ったという。

エリオットによると、スタインマンンの報酬は「6桁の金額」でした。「ジム・スタインマンは、デフ・レパードでほとんど仕事をせずに大金を手にした。その点では、彼は幸運な男だ」。また、残っている音源については「そんなものは絶対に出さない。完成したものは何もない。今まで聞いた中で最悪のブートレグのようなものだ。そのテープは俺のライブラリーに封じ込めている」と話しています