スロッビング・グリッスル(Throbbing Gristle) や
サイキックTV(Psychic TV) などでの活躍でも知られる、インダストリアル・ミュージックの創始者
ジェネシス・P・オリッジ(Genesis Breyer P-Orridge/本名Neil Andrew Megson) が3月14日に死去。サイキックTVやDais RecordsのSNSでオリッジの娘が声明を発表しています。オリッジは2017年に慢性骨髄単球性白血病を患っていることを公表し闘病生活を送っていました。70歳でした。
ジェネシス・P・オリッジはマンチェスター生まれ。本名はニール・アンドルー・メグスン。大学を卒業してロンドンに移った後、ジェネシス・P・オリッジと名乗り始める。
1969年、コージー・ファニ・トゥッティと共にパフォーミング・アート集団クーム・トランスミッション(COUM Transmissions)を結成。1975年にはクーム・トランスミッションのメンバー4人(オリッジ、コージー、クリス・カーター、はピーター・クリストファーソン)によってスロッビング・グリッスルが結成される。
スロッビング・グリッスルは1977年に自身のインダストリアル・レコードからデビューアルバム『The Second Annual Report』をリリース。工業化社会をテーマとしたコンセプトと、具体音やノイズのコラージュ、呪詛的なボーカルやリズム・ボックスを多用したサウンドは、インダストリアル・ミュージックの土台になり、後のシーンに多大な影響を与えた。スロッビング・グリッスルは1981年に一旦解散した後、2004年に再結成、2010年に再度解散。計9枚のフルアルバムをリリースした。
スロッビング・グリッスルが最初に解散した後、オリッジはバンドメイトであったクリストファーソンらと共にサイキックTVを結成。メンバーと音楽性を変えつつ、活動休止を挟みながら活動を続けた。オリッジは、2017年に慢性骨髄単球性白血病と診断されるまで音楽を録音し続けた。
オリッジは、1993年に2番目の妻であるレディー・ジェイ(Jacqueline Mary Breyer、2007年死去)と同じ外観を手に入れる「パンドロジェニー・プロジェクト(Pandrogeny Project)」に着手し、性転換、豊胸、美容整形を行う。そのオンリーワンな表現は注目を集めた。
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