
Bob Dylan / Shadows In The Night
ボブ・ディラン(Bob Dylan)が米国最大の定期刊行物『AARP(全米退職者協会)・ザ・マガジン』の独占インタビューに答え、新アルバム『Shadows In The Night』について語っています。ディランがインタビューに答えるのは約3年ぶりのこと
以下、メーカーインフォより
ボブ・ディランが、36作目のスタジオ・アルバム『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』が2月4日に発売されるのに先駆け、米国最大の定期刊行物『AARP(全米退職者協会)・ザ・マガジン』のインタビューに答えた。AARPとは、以前は「American Association of Retired Person」(全米退職者協会)と呼ばれていた、会員4000万人、50歳以上の人なら誰でも会員になることができる全米最大の「非営利団体」。その定期刊行物でもある「AARP ザ・マガジン」は米国最大の発行部数を誇っている。
ボブ・ディランがインタビューに答えるのは約3年ぶりのこと。合計1万5000字にわたるインタビューの中では、新作のレコーディングの裏話、フランク・シナトラからアーヴィング・バーリンにまで多岐にわたるアーティストたちへの思い、そしてアメリカのバラードの名曲をレコーディング・アーティストとしての人生におけるこの時期に解釈しようと決めたかなどが語った。ジャック・フロスト(ボブ・ディラン)がプロデュースを手がけた『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』は、2012年に世界的ヒットを博した『テンペスト』以来、ボブ・ディランが放つ初めての新しい音楽となる。
インタビューのハイライトは以下の通り。
<フランク・シナトラの影響やアーヴィング・バーリンについて>
☆フランク・シナトラの偉大さについて:
「…彼がいなくなったことなんてなかった。わたしたちがここに残るはずだと思っていたものは、実際には消え去ってしまったけどね。でも彼がそうなったことはない」
☆フランク・シナトラがもしこのアルバムを聴いたら:
「まず、これらの曲を我々が5人編成のバンドでやったってことに驚くと思うよ。ある意味誇りに思ってくれるんじゃないかな」
☆アーヴィング・バーリンについて(アメリカを代表する偉大な音楽家。代表作は「ホワイト・クリスマス」「ゴッド・ブレス・アメリカ」など。今作では「ホワットル・アイ・ドゥ」が彼の作品)
「何から何までやった男というのを僕はひとりだけ知っている。それがアーヴィン・バーリンだった。彼はメロディも歌詞も書いたんだ。あの男は全くの天才だったね。というか、彼はとにかく留まるところなく才能を与えられ続けていたんだ。…」
<音楽とレコーディングについて>
☆音楽を生演奏で録音することについて:
「これらの曲は僕にとってたったひとつの方法でしか録音できないものなんだ。それはごく少ない数のマイクを使って、フロアで生演奏することだった。ヘッドホンもオーバーダブもヴォーカル・ブースも、個別のトラッキングもない。昔ながらのやり方だっていうのは分かっているけど、わたしにとっては、こういう曲をやるのにうまくいく唯一の方法なんだ。ヴォーカル的には、マイクから6インチ(約15cm)くらいしか離れていないところで歌ったような気がする」
<カルチャーとミュージック・ビジネスについて>
☆若者たちが’40年代や’50年代の曲を“corny”(陳腐)だと思うかどうかについて:
「これらの曲は受け入れるにしろ拒むにしろ、少なくとも素晴らしい美徳を持った曲なんだ。これらの曲はそういうものだ。それらが古臭く陳腐に聞こえるのであれば、それについてはそれだけだね。でも今日、人々の生活は、あらゆる悪徳やその罠に満ちている。野心、貪欲さ、身勝手さはみな悪徳と関係があることを、遅かれ早かれ見抜かなければならない。さもないと生き延びることはないからね。…悪徳が破滅させる人々のことは見えない。わたしたちはその華やかな部分を毎日見ているに過ぎないんだ。ビルボードの広告から映画、新聞、雑誌まで、わたしたちが見るところすべてにね。わたしたちはあちこちに人生の破滅とその嘲りを見ている。これらの曲はああいうものとは程遠い。ロマンスは永遠に廃れることがない、急進的なものなんだ。今のメディア・カルチャーからは外れているかも知れないけど…」
☆アメリカにおける大企業の影響力について:
「この国は大企業に乗っ取られてしまった。レコーディング・スタジオの中でもね。大陸の端から端まで見ても、みんな同じ服を着て、同じことを考えて、同じものを食べている。何もかもが加工されてしまっているんだ」
<本人の人生と時代について>
☆1966年の隠遁生活の時期が、子供たちを守るためだったかどうかについて:
「全くその通りだよ。芸術を諦めてそうしたんだ…」「確かにそうしたよ。そうしなければならなくなったのは辛かったね。でもそれ以外選択肢がなかったんだ」
☆テレビなしで育ったことについて:
「わたしはテレビなしで育った最後か、それにかなり近い世代だったんじゃないかな。だからわたしたちはラジオをよく聴いていた。…わたしたちにとってはこれがテレビみたいなものだった。耳にしたものすべてを、どんな姿か想像することができたからね。ラジオで耳にするシンガーも、どんな姿か見ることができなかったから、どんな姿か想像したんだ。…そういうことのおかげで、今のリスナーとしてのわたしがある。ドアがバタンと閉まる音とか、車の鍵がジャラジャラ鳴る音とか、小さなものに耳を澄ますようになったんだ。木々の間を吹きぬける風、鳥たちの歌、足音、ハンマーが釘を打つ音とかね。そういうランダムな音さ。牛のモーと鳴く声もね。そういうのをみんなギターで爪弾いて、歌にすることができたんだ」