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ナラダ・マイケル・ウォルデン、トミー・ボーリンとの別れを語る 「本当に辛かった。でも酒やドラッグに溺れた日々は耐えらなかった」

2026/03/05 19:55掲載
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Tommy Bolin
Tommy Bolin
トミー・ボーリン(Tommy Bolin)ナラダ・マイケル・ウォルデン(Narada Michael Walden)。1970年代初頭に意気投合した2人だったが、ボーリンがディープ・パープルに参加した後、酒やドラッグに溺れる日々を送るようになったことが耐えられず、ウォルデンは距離を取ることを決める。その胸が張り裂けるような決断を米Guitar Playerの新しいインタビューの中で振り返っています。

「彼のことは、Zephyrというバンドで知ったんだ。僕がミシガン州カラマズーで高校に通っていた頃に出てきたバンドで、彼は、まさに悪ガキなギターって感じでね。グランド・ファンク・レイルロードのマーク・ファーナーみたいな。ああいうのが大好きだったんだ。

僕たちは(Nemperor Recordsの共同創設者)ナット・ワイスを通じて知り合ったんだけど、トミーが“俺のアルバムで演奏してくれよ”って言ってきてね。それでスタジオに向かったんだ。(※彼らがレコーディングしたのは“Marching Power”で、ヤン・ハマーやデヴィッド・サンボーンも参加したインストゥルメンタル曲)

その曲を録り終えたあと、通りを歩いていたらトミーが“これからツアーに出るんだ。一緒に来ないか?”って言ったんだ。もちろん行きたかったさ! もっとロックの世界に触れたかったんだよ。ジャズ・ロック・フュージョンをやっていた頃には、そういう経験はあまりなかったからね。彼と一緒にやれば、もっとそういうロック寄りのことができると思ったんだよ」

それが実現する前に、ボーリンにはもう一つの約束がありました。ビリー・コブハムのアルバム『Spectrum』で得た注目により、リッチー・ブラックモアの後任を探していたディープ・パープルの目に留まり、ボーリンはバンドに加入しました。1975年のアルバム『Come Taste the Band』をレコーディングし、アルバムを携えたツアーに出ることになったため、ソロ作『Tease』を引っ提げての活動計画は先送りとなりました。

しかし、ディープ・パープルでの在籍は短期間に終わりました。ツアー終盤には、彼はヘロイン依存と闘っており、1976年にバンドが解散すると、ボーリンはソロ活動を再開しました。ツアーバンドには、ウォルデンも参加しました。

ウォルデンはこう続けています。

「俺たちは熱かった! でもトミーは、ニューヨークに戻ってボトム・ラインでやったときに、飲みすぎてしまってね。ステージでは柱にもたれなきゃならなかったほどだったんだ。ニューヨークであんなに酔ってしまっていたのは、正直言って恥ずかしかったよ」

その頃には、ボーリンは深刻なアルコール依存とヘロイン中毒に苦しんでおり、それはその数カ月後、1976年12月4日の彼の死につながることになりました。

ウォルデンにとって、ボトム・ラインでのコンサートは決定的なものとなりました。

「それが僕にとって彼との最後のライヴになった。バンドを離れざるを得なかった。本当に辛かったよ。だって僕たちは、パンとバターみたいに切っても切れない関係だったからね。トミーのことは大好きだった。彼も僕と同じくネイティブアメリカンの血を引いていて、その血のつながりがあったからね。そこには魂があったんだ。

でも、酒やドラッグに溺れた環境には長くいられなかった。結局、それが彼の命を奪うことになってしまったんだ」