
Paul McCartney - Photo by Samir Hussein / WireImage, Getty Images
ポール・マッカートニー(Paul McCartney)は1999年にロックの殿堂入りを果たしましたが、ジョン・レノンが1994年にロックの殿堂入りした際、翌年の95年にはポールが殿堂入りすると約束したのにも関わらず、殿堂の共同設立者が約束を破って選ばなかったことに苛立ちを覚えていたことが、新たに公開された未公開インタビューで明らかにされています。
ジャーナリストのジョー・ヘイガンは、米ローリングストーン誌を創刊したジャン・ウェナーに関する本『Sticky Fingers: The Life and Times of Jann Wenner and Rolling Stone Magazine』の取材中に、ポールに1時間以上にわたって話を聞きました。この本は2017年に発売されましたが、本に掲載されたのは会話のほんの一部だけで、未公開インタビューの一部が新たにVanity Fair誌のサイトにて公開されています。ジャン・ウェナーはロックの殿堂の共同設立者でもあります。
ポールはこう語っています。
「彼にあまり好感を持てなくなる出来事があってね。彼がこう聞いてきたんだよ。“ジョンをロックの殿堂入りさせるとき、君が紹介役を務めてくれないか?”って。僕は“ああ、いいよ”と答えた。でも電話を切ったあと、こう思ったんだよ。“ちょっと待て、僕はどうなんだ? 僕はまだ殿堂入りしていない。ジョンだけが先に入ることになるのか”とね。
ジョン・レノンとマッカートニーの関係は、常に対等だった。でも、ジョンが殺害され、あの凶行ゆえに、彼は殉教者になった。バディ・ホリーやジェームズ・ディーンのような存在になった。すると歴史の書き換えが始まった。ヨーコも確実にそれに一役買っていたし、ジャン(ウェナー)も大きく関与していた……。こうして“ジョンこそがすべて”になった。ビートルズを動かしていたのは彼で、全部やったのは彼で、僕は“スタジオを押さえただけ”だ、と。でもそれは真実じゃない。
とにかく、僕は彼に言い返したんだ。“ちょっと待ってくれ。じゃあ僕はどうなるんだ? 僕がジョンを紹介して、それから僕自身も殿堂入りするってことでもいいんじゃないか?”ってね。向こうは“いや、それはできない”って感じだった。彼とやり取りするときはいつもそうなんだが、決定権はジャンにはないと言う。廊下の向こうのどこかにいる別の連中が決めているって話になる。彼のドアには“オーナー兼編集長”って書いてあるのに、実際に物事を動かしているのは、そいつらだっていうのかよ?
“じゃあ、僕はどうなの?”と言った。(ウェナーは) “来年だ。来年は君をやるよ”と言った。僕は“わかった”と言った。その約束を信じた…でも翌年になっても何も起きなかった。“ジャンに電話してくれないか? どうなってるんだ? 僕の名前がリストに入ってないじゃないか”って感じさ。まったく、ひどい連中だよ。
結局のところ、僕もなんとか殿堂入りは果たしたけどね。娘のステラは『About Fucking Time(やっとかよ!)』って書いたTシャツを着てた。ジャンはたしかに僕を殿堂入りさせはした。“やっとかよ”って話さ。でも約束された時期よりずっと後だった。口約束なんてゴミ同然ってことなのさ」
公平を期すために付け加えると、Vanity Fair誌は、ジャン・ウェナーはポールとそのような約束をした覚えはないと述べている、と指摘しています。