
Willie Colón - Getty Images
サルサ界のレジェンドで、このジャンルのリーダーとして最も偉大な存在の一人であった、象徴的なトロンボーン奏者、編曲家、バンドリーダー、プロデューサーの
ウィリー・コローン(Willie Colón)が死去。彼の家族や長年のマネージャーPietro CarlosがSNSで発表。死因は明らかにされていません。75歳でした。
家族によると、2月21日の朝、「愛する家族に見守られながら安らかに逝去しましたた」。家族はまた「彼の不在を嘆きつつも、彼の音楽という不朽の贈り物と、永遠に生き続ける大切な思い出を共に喜びたいと思います」と声明で述べています。
ウィリー・コローンは、1970年代のラテン音楽の発展において重要な役割を果たした、史上最も影響力のあるラテン系アーティストの一人。
コローンは1950年にニューヨークのブロンクスで生まれたが、祖父母が島に住んでいたためプエルトリコとの直接的な繋がりを持っていた。10代前半のコローンは1960年代のポピュラー音楽(R&B、ロック、ジャズ)、そして夏に親戚を訪ねて聴いたプエルトリコの音楽を吸収していた。
12歳でトランペットを始め、後にトロンボーンに転向。15歳時には新興インディーズレーベル、ファニア・レコードと契約し、17歳でデビューアルバムを発表した。このアルバムは、自らのアイデンティティを確立しようとしていた若いニューヨリカン(ニューヨーク在住プエルトリコ系住民)の間で人気を博した。
同作には、後にサルサ界のスターとなるプエルトリコ人ヴォーカリスト、エクトル・ラボーが参加している。ラボーはソロアーティストとして成功を収める前に1967年から1975年にかけてコローンとの共演で「Calle Luna」「calle Sol」「Abuelita」「Ah, ah, oh, no」「Ghana'e」「El día de mi suerte」「La murga」「Juana Peña」などの曲を広めた。
1970年代、コローンは、パナマ出身のシンガーソングライター、ルーベン・ブラデスをに迎え入れ、1978年には画期的なアルバム『Siembra』をリリースした。本作は、世界中で300万枚以上を売り上げ、当時のベストセラーとなり、今なおサルサの最高峰の一つと評されている。
コローンは、そのキャリアを通じて40以上の作品を制作し、3,000万枚以上の売上を記録し、ゴールド・レコード15枚、プラチナ・レコード5枚を獲得し、グラミー賞に10回ノミネートされた。
コローンは晩年、音楽と政治を両立させた。1994年には民主党候補としてニューヨーク州の予備選に出馬し、後にニューヨーク市市民擁護官選挙にも立候補した。2010年代には音楽活動から少し離れて、2014年、64歳でニューヨークの警察学校を卒業し、演奏活動を続けながら8年間勤務した。
コローンは2004年にラテンレコーディングアカデミーから生涯功労賞を受賞し、2019年にはラテンソングライターの殿堂入りを果たした。