HOME > ニュース >

マドンナ「Like A Virgin」/シンディ「True Colors」/バングルス「Eternal flame」の舞台裏 ソングライターコンビの相棒の訃報を受け作曲者が語る

2026/02/18 14:13掲載
メールで知らせる   このエントリーをはてなブックマークに追加  
Billy Steinberg and Tom Kelly - Songwriters Hall of Fame 2011 - Gary Gershoff/Getty Images
Billy Steinberg and Tom Kelly - Songwriters Hall of Fame 2011 - Gary Gershoff/Getty Images
マドンナ(Madonna)「Like A Virgin」、シンディ・ローパー(Cyndi Lauper)「True Colors」、バングルス(The Bangles)「Eternal flame」などを生み出したソングライター・コンビ、ビリー・スタインバーグとトム・ケリー。スタインバーグの訃報を受け、ソングライター・パートナーのケリーは米ビルボード誌の新しいインタビューの中で、スタインバーグに敬意を表し、スタインバーグについて語っています。ケリーはまた、コンビが手掛けたマドンナ「Like A Virgin」、シンディ・ローパー「True Colors」、バングルス「Eternal flame」について、制作を振り返っています。

ソングライター・コンビを組むきっかけについて。

「ビリーは歌詞の面で、私は音楽的な面でそれぞれ長けていた。だから、私が無理に歌詞を書き上げるよりも、彼がシンプルなロックンロール曲を書くよりも、私たちは協力し合うようになったんだ」

2人の作業は、基本的にスタインバーグがまず歌詞を書き、その後、ケリーが曲を作る間もそばに付き添っていたという。

「ビリーは別の部屋にいるなんて我慢できなかった。いつもすぐ横にいたがったし、それで良かったんだ。彼は優れた相談相手だったからね。ほとんどは私が作曲したけれど、彼は何が好きで、何が気に入らないのか、自分の意見をはっきり言ってくれた。ビリーは私以上に、音楽を作ること、曲を生み出すことに夢中だった。彼はいわばワーカホリックで、その姿勢はたぶん私の仕事への向き合い方にもいい影響を与えてくれたと思うよ」

ケリーが最後にスタインバーグに会ったのは、彼が亡くなるわずか数日前でした。「すごくいい時間を過ごせたよ。完璧なひとときだった」

■Madonna“Like A Virgin”

「私たちは数年間ずっと一緒に曲を書いていたから、すでにルーティンができていた。ビリーが(私のホームスタジオに)やって来て、その時点で彼は、かなり構成された歌詞ができていて、それをタイプライターで打ち出していた。

ちょうどその頃、私たちはシンセサイザーに移行したばかりで、Jupiter-8 というシンセを使っていた。とても人気があった機種で、80年代前半から中期のヒット曲の多くにある、特徴的なブラスっぽい音色は聴けばわかるはずです。

(ビリーが書いた冒頭の歌詞)“I made it through the wilderness / Somehow I made it through” (荒野を抜け出した/どうにかして抜け出した)は、とても柔らかくて、胸に沁みる、繊細なフレーズだと感じたので、それに合うバラードを書こうとしたんだけど、どうしてもしっくりこなかった。でも特別な歌詞だという確信はあったから、ボツにする気はなかった。普段はもっと手際よく、効率的に曲を書くんだけど、この曲だけは本当に手こずり、どんな音楽をつければいいのか、まったく見当がつかなかった。

たぶん4回目くらいに取り組んだとき、あまりにフラストレーションがたまって、ふざけ半分でモータウン風のベースラインを弾き始めた。それがあの曲の冒頭に出てくるあのラインになった。それにファルセットで歌いながら、スモーキー・ロビンソンの物まねみたいなことをしていた。彼の大ファンだからね。たぶん1分くらいは止まらずに歌い続けたと思う。私たちは目を見開いて顔を見合わせた。ビリーが“これはヒットだ”と言い、私も“そうだ、君の言う通りだ!”と答えた。

その後、少なくとも1年は売り込みを続けた。でも誰も手を出したがらなかった。2026年の今なら何でもアリかもしれないけど、1983年当時は“virgin”という言葉はちょっとしたタブーだった。私たちはワーナー・ブラザース・レコードのマイケル・オスティンと知り合いで、彼に何曲か聴かせた。最後のほうで彼が“マドンナ向きの曲はある?”と聞いてきた。正直、その時は彼女のことをよく知らなかった。でも彼は、彼女のきわどいイメージにぴったりだと言った。あとはご存じの通りです」



■ Cyndi Lauper “True Colors”

「ビリーが“True Colors”を持ってきてくれて、私は音楽をすぐに書き上げた。でも歌詞が気に入らなかった。たぶん彼のお母さんについての曲だったと思う。とても詩的ではあったけれど、かなり抽象的だったんだ。サビになると“I see your true colors shining through(君の本当の色が輝いて見える)”と歌っている。私はビリーに言った。“このサビは完璧だ。素晴らしいメロディもできた。でもヴァース(※サビに入るまでの導入部分)は、君が何を言いたいのか誰にもわからない……これは恋人にも、子どもにも、親友にも歌えるような、普遍的なラブソングにするべきだ”とね。

ビリーについて言えることのひとつは、彼はとても即興的に書くタイプで、書き直すことが大嫌いだった。

実は、オリジナルの歌詞のままで作ったデモもあった。デイル・カワシマという人物がいて、僕たちの曲を売り込んでくれていた。ビリーは“まだ完成していないから”と言ってテープを渡すのを嫌がったけれど、私は彼に聴かせた。彼はそのテープを持っていくと、ある朝、6時半ごろに電話で起こされた。“トム、ジョージ・マーティンだ”と声がした。冗談だと思ったよ。でも彼はデイルからその曲を聴き、とても気に入ってくれた。“歌詞は少し書き直したほうがいいと思うが、ケニー・ロジャースに歌わせたい”と言っていた。シンディは自分らしいちょっと風変わりなヴァージョンにしたけれど、私はグランドピアノとストリングスで、ほとんどゴスペルのように歌っていた。もっと教会音楽っぽかったんだ。私は“まだ完成していないから渡せない。仕上げさせてくれ”と言った。

それで私はビリーに“仕上げよう。手伝うよ”と言った。私が最初の数行“You with the sad eyes / don’t be discouraged!(悲しそうな瞳の君/くじけないで)を書いた。ビリーには、方向性を示す数行があればよかったんだ。すると1番の残りを書き上げ、2番も仕上げて、曲は完成した。

当時、私のアーティスト活動をマネジメントしていたジョン・バルックが、シンディをプロデュースし、エピック・レコードと契約させたレニー・ペッツェと親しかった。彼が“シンディ・ローパー向きの曲はある?”と聞いてきた。完成した歌詞の“True Colors”のデモを作ると、ほとんどその日のうちに“シンディが気に入った、欲しいと言っている”という素早い返事が来た。“Girls Just Want to Have Fun”が大成功していたし、その時点でケニー・ロジャースよりも彼女のほうがいい選択だと思ったんだ。

最初に(シンディのヴァージョンを)聴いたときは、正直あまり好きじゃなかった。コードを少し変えていたし、歌詞も少し変えていたからね。ビリーはそういうのが好きじゃないんだ。でも1位になってしまえば、好きになるよ(笑)」



■Bangles “Eternal Flame”

「私たちが他の誰かと共作した初めての全米1位の曲です。

私たちはスザンナ(ホフス)と一緒に仕事をしていて、とても仲の良い友人にもなったし、一緒にやるのがいつも楽しかった。彼女もビリーと私と同じで、60年代の音楽とか、ブリティッシュ・インヴェイジョンとか、ビートルズとか、そういう音楽の大ファンだった。だからスザンナと曲を書くときは、よく“ビートルズっぽい曲を書こう”とか“プリンスっぽい曲を書こう”といった感じで取り組んでいた。マッカートニー風の曲やレノン風の曲を書くこともあった。この曲に取りかかったとき、念頭にあったのは、マッカートニーが書いた“Here, There and Everywhere”だった。あの曲のように、とてもやさしくて繊細なものにしたかったんだ。

スザンナがワシントンD.C.を訪れ、(ジョン・F・ケネディの墓にある)“永遠の炎(Eternal Flame)”を見てきた。彼女は戻ってきて“Eternal Flameって、いいタイトルだと思うの”と言った。ビリーもうなずいて、二人でじっくり歌詞を練り上げた。それはビリーの家でのことだった。その後、3人で私の家に集まり、私がピアノで曲を書いた。かなり早く仕上がった。まるで曲が自然にできあがっていくような感じ。ちょっとした転調があって、ぐるりと巡ってまた戻ってくる。私にとっては子守唄のような曲だった。

あの曲のとても大きな要素になった部分で、私たちの誰も作っていないのが、ラストでキーが上がるところ。あれはプロデューサーのデイビット・シガーソンのアイデアで、スタジオで生まれた。チェロなども加わって、デモをはるかに超えるレベルに引き上げてくれた。鳥肌が立った。本当に信じられないほど素晴らしかった。メロディは私が、歌詞はビリーとスザンナが書いたけれど、あの壮大なエンディングは完全に制作段階で生まれた。それが決定的な一線を越えさせたです」