Pファンク・レジェンド、
パーラメント(Parliament)・
ファンカデリック(Funkadelic)のベーシスト/ギタリストの
ビリー・ネルソン(Billy "Bass" Nelson)が死去。ジョージ・クリントン&パーラメント・ファンカデリックの公式SNSアカウントで発表。75歳でした。
同SNSアカウントは1月下旬に、ネルソンの訃報を誤って投稿し、その投稿はその後に削除されました。
同SNSアカウントは新たな投稿で、「正式な確認を受け取りました」とネルソンが1月31日に亡くなったと報告しています。投稿では「永遠の安らぎとファンクを」と追悼しています。死因は明らかにされていませんが、近年はホスピスケアを受けていたという。
ビリー・ネルソンは1951年1月28日にニュージャージー州プレインフィールドで生まれる。10代の頃は
ジョージ・クリントン(George Clinton)の理髪店で床掃除をしたり、客のために歌ったり踊ったりして働いていた。
クリントンは当時、ドゥーワップ・ボーカル・グループ、パーラメンツのメンバーで、クリントンはツアーの音楽サポートとしてバックバンドを結成し、ネルソンはこのバンドでギタリストとして演奏するようになった。
このバックバンドは当初無名だったが、ネルソンは後にそのスタイル(ファンク)を反映し、当時急成長していたサイケデリック音楽シーンと結び付けて「ファンカデリック」と名付けた。
1970年代初頭、契約上の問題からクリントンがパーラメンツの名称を使用できなくなり、彼はグループの方向性を転換。クリントンはバックバンドのファンカデリックを前面に出してウェストバウンドレーベルと契約した。
ネルソンはファンカデリックの最初の3枚のアルバム、『Funkadelic』(1970年)、『Free Your Mind... and Your Ass Will Follow』(1970年)、『Maggot Brain』(1971年)に参加し、これらの先駆的アルバムに大きく貢献した。ベースに加え、ネルソンはファンカデリックの各アルバムで1曲か2曲のリードヴォーカルも担当した。
ネルソンは1971年後半、クリントンとの金銭的な争いの後、グループを脱退した。ネルソンはパーラメント・ファンカデリックのメンバーの中で、こうした懸念から脱退した最初の人物だった。1975年、ファンカデリックに短期間復帰してアルバム『Let's Take It to the Stage』に参加した。
ネルソンはその後、コモドアーズ、チェアマン・オブ・ザ・ボード、フィッシュボーン、ジャーメイン・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スモーキー・ロビンソン、レニー・ウィリアムズらと共演した。
1994年以降、パーラメント・ファンカデリックのさまざまなツアーに参加し、Pファンク・グループに復帰した。
1997年にはパーラメント・ファンカデリックのメンバーとしてロックの殿堂入りを果たした。