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スティーリー・ダンのレコーディングはどのようなものだったのか? ギタリストのディーン・パークス語る

2026/01/21 18:19掲載
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Steely Dan
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スティーリー・ダン(Steely Dan)のレコーディングはどのようなものだったのか? スティリー・ダンの5枚のアルバム(『Pretzel Logic』『Katy Lied』『The Royal Scam』『Aja』『Two Against Nature』)に参加したギタリストのディーン・パークス(Dean Parks)は米Guitar Playerの新しいインタビューの中で振り返っています。

ウォルター・ベッカー(Walter Becker)ドナルド・フェイゲン(Donald Fagen)との仕事は、まるでリハーサルをしているような感じだった。曲を何度も通しては止め、変更を加えることの連続だった。ドナルドは小さなブースに入って一緒に歌いながら、彼とウォルターは“誰が演奏すべきか”“どのパートが一番しっくりくるか”といった点についても、次々と意見を出していたよ。

みんな良いものになるって分かっていたから、誰もが忍耐強く取り組んだ。みんな、この仕事ができることを喜んでいたから、誰ひとりイライラしていなかったよ。

彼らとの仕事には、それほどドラマチックなことはなかったと記憶している。当時は全員が仕事に真剣だったし、彼らはいつも面白いアレンジを求めていた。

スタジオ・ミュージシャンたちは皆、レコーディング・セッションに入る前から、ヘッドフォンで彼らの曲を聴き込んで研究し、どんなものが求められるのかを把握していた。僕たち全員には、リスナーに対する畏敬の念もあったと思う。音楽にぐっと耳を傾けて、細部の一つひとつまで聴き取ろうとする人たちにね。僕たちは、そういうリスナーのために音楽を作っているんだ、という前提で取り組んでいたんだ」

彼や他のセッション・ミュージシャンたちがスタジオでスティーリー・ダンと仕事をしたときの雰囲気を説明するために、パークスは、アルバム『Aja』収録の「Josie」のレコーディング・セッションについて詳しく語っています。

「“Josie”のレコーディングは2回に分けて行われた。いわゆるダブル・セッションで、午前10時から午後1時までやって、そして午後2時から5時までもう1回やる、という流れだった。

午前10時のセッションでは、この曲は何も形にならないんじゃないか、という雰囲気だった。それでランチに行って、戻ってきたら、突然すべてが噛み合ったんだ。

ベッカーとフェイゲンは、いつも本当にたくさんの変更やアイデアを出してくるので、それを全部覚えておかなければならない。覚えることが多すぎて、まったく進展がないように感じた。譜面にメモを取っても、彼らの曲には毎回、見たこともないような小さな変化が必ず潜んでいたんだよ。

でも不思議なことに、いったんそこから離れてみたら、ちゃんとまとまってくる。あれは良い教訓だった。何かに行き詰まってフラストレーションを感じたときは、いったん距離を置いて、後で戻ってくるのが最善だと、いい教訓になったよ。そうすれば、自然と形になってくるんだ」

パークスによると、たいていの場合、彼も他のセッション・ミュージシャンたちも、自分たちの演奏が最終版に残るのかどうか分かっていなかったという。実のところ、その点はベッカーとフェイゲン自身も同じだったという。たとえば「Josie」では、パークスとラリー・カールトンがギターパートを交代で弾きましたが、どちらの演奏が採用されたのかは、アルバムが発売されるまで分からなかったという。

「自分の演奏が使われるかどうかなんて、彼らは決して教えてくれなかった。

ラリー・カールトンはかつて、もともと自分が“Josie”のイントロを弾いたが、アルバムが出たときには、僕の演奏に差し替えられたみたいだ、と話していた。実際、僕もイントロを弾いていたからね。

彼には“いや、そうじゃないんだ”っと言って説明した。僕はレコーディングの日に参加していて、“Josie”のリズムパートを他に3曲と一緒に録音していた。イントロも最初のレコーディング時に録音済みだったんだ。

(カールトンは曲の中間部のオーバーダブを担当した)

だから、彼らはイントロにもラリーのギターサウンドを試してみたかったんじゃないかと思っている。あれはリードパートだからね。

最終的には、彼のテイクか僕のテイクか、2つの選択肢があって、結局は当初のアイデアに落ち着いたんだと思う。誰かが誰かを差し替えた、という話ではないんだ。ただ、より良くするために、いろいろ試行錯誤があっただけなんだ。ウォルターとドナルドは常に学び続け、レコーディングが進むにつれて決定した方向性を発展させていくことに、いつも前向きだった」

彼らは、セッション・ミュージシャンたちが最高の力を発揮できる環境を作り、最小限の指示で進められるようにしていたという。

「彼らは、演奏を気に入るか、もしくは具体的な変更点を挙げるか、あるいは“もう少しタイトにしてほしい”とか、“ちょっと煩雑だから別のアプローチを試してみて”といった指示を出す程度だった。彼らが出す指示はほぼそれだけで、彼らのセッションでは、それはごく当たり前のことだった」

意外なことに、パークスを含め、どのミュージシャンたちも、セッション中にベッカーがギターを弾く姿を一度も見たことがなかったという。彼はいつもギター・パートを、後からオーバーダビングしていました。パークスが彼と実際にギターを一緒に弾く機会を得たのは、それから何年も後のことでした。

「実際に彼と一緒に演奏したのは90年代初頭が初めてだった。それまでは、彼のことをソングライター兼プロデューサーとしてしか知らなかった。『Gaucho』と『Two Against Nature』の間には、ドナルドとウォルターがほとんど口をきかない時期があって、その間、ウォルターはレコード・プロデュースを手がけるようになり、いくつかの作品に僕を呼んでくれた。

その後、彼はソロ・アルバムをやりたいと言い出して、僕はその立ち上げを少し手伝った。それが、彼と実際に一緒に演奏した最初の機会だった。ハワイのマウイにある彼のスタジオで、向かい合って座り、ジャズ・スタンダードをただ気ままにジャムった。片方がリズムを弾き、もう片方がソロを弾く。そんなふうにお互い交代しながら延々とやっていたよ」