シャーデー(Sade) の誕生と、デビューシングル「Your Love Is King」について、メンバーやプロデューサーらが英Uncutのインタビューの中で振り返っています。
シャーデーの当時の恋人でThe Face誌のジャーナリストでもあったロバート・エルムズは、シャーデー・アデュが歌手になった、まさにその瞬間を語っています。カーディフにブルー・ロンド・ア・ラ・タークのライヴを見に行く途中、トランジット・バンの後部座席でのことでした。運転手のリー・バレット(当時、アリヴァというバンドのマネージャー)がシャーデーに「歌えるのか」と尋ねました。
エルムズはこう振り返っています。
「彼女は“歌えるわ”と言っていた。それまでそんな話を聞いたことがなかったから、ガソリンスタンドに寄ったときに改めて聞いたんだ。すると彼女は“そんなに難しいことじゃないでしょう?”って言ったんだよ」
数年後、シャーデー・アデュはプライド(Pride)のメンバーとなり、そして、バンドのシャーデーのメンバーとなりました。
■スチュワート・マシューマン(共作者、サックス奏者):
「シャーデーは当時、ロバートと一緒にウッド・グリーンの消防署の上にあるスクワットで暮らしていた。僕はよく遊びに行って、一緒に曲を書いていた。“Your Love Is King”は、彼女が友だちと出かけている時にメロディが頭に浮かんだそうだよ。バスで家に帰るあいだ、そのメロディを忘れないようにしなきゃならなかったって言っていた。
僕がコードを弾き始め、そこから一緒にアレンジしていった。6/8拍子は初めてだったけど、ドラムマシンにワルツの設定があったので、それを速くして使った。わりとすぐに書き上げて、リハーサルに持っていったんだ」
■アンドリュー・ヘイル(キーボード奏者)
「スチュアートとシャーデーが“Your Love Is King”の入ったカセットをリハーサルに持ってきた。一番強く覚えているのは、ほかの曲はプライド時代の流れから来ていたということ。この曲が、このバンドがどうなっていくのかを捉えた最初の曲だった」
■ロバート・エルムズ:
「彼女は、何でも演奏できるスチュワートに向かって歌って、曲を作っていた。彼女は馬毛のソファに座って、“Your Love Is King”のメロディを歌っていた。僕は当時、彼女のボーイフレンドだった。その曲が僕のことだと言うつもりはないけれど、そのソファの上で最初に歌って聞かせてくれたのは僕だった。
シャーデーはアリヴァやプライドでバックシンガーを務めていたけれど、誰に耳にも目にも、彼女こそがスターであることは明らかだった。リー・バレットがスチュワート、アンドリュー、ポール・デンマンを呼び入れて、音楽はよりソウル・ジャズ寄りの方向へと向かった。それはプライドではなくなり、他のすべてがそぎ落とされていく中でシャーデーになったんだ」
■スチュワート・マシューマン:
「プライドには3人のシンガーがいた。全員がそれぞれ短いセットをやるというコンセプトだったけれど、シャーデーが歌った瞬間、その違いがすぐに分かった。他の歌手よりもシャーデーにより多くの関心が集まっていることは明らかだった。さまざまなセットを紹介するとき、僕たちは“シャーデーです”と言っていて、それがそのままバンド名になった。別の選択肢として、他の歌手の名前である“バーバラ”もあったけどね」
■ロビン・ミラー(プロデューサー):
「リー・バレットから電話があって、プライドのメンバー2人がスタジオに来ていて、僕が気に入りそうな音楽があると言われた。その前の年にパワー・プラント・スタジオを設立していた。空き時間を使って、将来性はあるけれど資金のないアーティストのレコーディングを行い、そのマスターを僕たちが所有するという計画があった。
リーが“Your Love Is King”のデモを持ってきた。グルーヴとヴォーカルだけのトラックだったけど、聴いた夜は興奮して眠れなかった。父に電話して、“すごい声を見つけた。うまくやれたらブレイクできる”と伝えたよ。
人がきっと好む何かが宿っている声というのがある。ビング・クロスビーにはそれがあった。アデルにもある。シャーデーにもある。人々を惹きつけて耳を傾けさせるのは、声のトーンなんだ。忘れようとしても忘れられないし、真似しようとしても不可能なんだ」
■スチュワート・マシューマン:
「シャーデーの声の低音域にはより多くの声帯が働いている。それが低音域でより厚みのある音を生み出している。僕たちは特別優れたミュージシャンじゃなかったし、ゴスペルやソウルで育ったわけでもない。シャーデーも僕らと同じように『トップ・オブ・ザ・ポップス』を見て育った。ああいうR&Bのヴォーカルのリフは彼女は一切やらなかった。彼女は物語を語ることで聴き手を引き込んだ。パフォーマンスというより、ストーリーテリングだったんだ。
“Your Love Is King”と“Smooth Operator”のレコーディングは、ロビンがアレンジを手伝ってくれて、彼のおかげで曲全体がぐっと引き締まったんだ」
■ロビン・ミラー(プロデューサー):
「“Your Love Is King”と“Smooth Operator”は1週間でレコーディングした。まずバッキングトラックを録ってから、彼らに何をどこに追加するかを伝えた。“Your Love Is King”はヴォーカルのクレッシェンドと、歌詞のいくつかの変更が必要だった。パーカッションがヴォーカルを邪魔することなく、勢いを維持する方法を彼らに伝えた。
彼らは腕のいいプレイヤーだったが、僕は何度もやり直して、精度を突き詰めさせた。スタジオに足を踏み入れたこともなかった子供たちだったにもかかわらず、僕はセッションプレイヤーのスキルを求めていたんだ。
1週間かけて作業して、日曜日の夜10時にミックスした。人に聴かせたら、みんな驚いていた。楽器について尋ねても、サックスしか気づかなかった、それ以外は彼女の声だった。
リーが曲をあちこちに売り込みに行ったけど、誰も興味を示さなかった。長すぎる、ジャズっぽすぎる、シンセやドラムマシンが足りないってね。時代遅れだと見なされていたんだ」
■ロバート・エルムズ:
「レコード会社は次のスパンダー(バレエ)を探していた。僕はThe Face誌の編集者ニック・ローガンのオフィスにいた時、グレアム・スミスが撮った、背中の開いたフィオナ・ディーリーの黒いドレスを着たシャーデーの写真を持っていた。The Face誌の最終ページ広告枠が土壇場で落ちてしまい、ちょうどその写真があったので、ニックに“彼女はすごく見栄えがする、ここに載せよう”と言ったんだ。それでレコード会社が興味を持つようになったんだ」
■ロビン・ミラー:
「彼らはチャリング・クロス・ロードのヘヴンを予約して、ロバートが仲間全員に電話をかけた。僕は彼女に何も話さないように言った。人々が聞くべき声は、彼女の歌声だけだと言ったんだ。でも重要だったのは、600人が入場を断られて、それが全ての新聞に載ったことだった」
■スチュワート・マシューマン:
「ロニー・スコッツで1回だけライヴをやって、マネージャーがレコード会社を招待したんだけど、入口の担当者(スティーヴ・ストレンジだったと思う)に、誰も中に入れないように言ったんだ。それがパンクのやり方だった。その結果、レコード会社はなおさら欲しがるようになったんだ」
■ロビン・ミラー:
「彼女を断ったレーベルから、電話が鳴りやまなくなった」
■ロバート・エルムズ:
「彼女は突然、時の人になった。スパンダーはすでに経験していた。ボーイ・ジョージにも起きたし、ヴィサージにも起きた。当時23、24歳だった僕には、それは自然で必然的なことのように思えた。彼女の才能を確信していたからね。見た目も歌声も素晴らしく、曲作りも最高だった。悪くないスタートだ」
■アンドリュー・ヘイル:
「最初に聴いたときは、すぐにヒット曲には聞こえなかった。現代的ではあるけれど、80年代の多くのものとは違う形でクラシック・ソウルへの言及があった。つながりが生まれたことに人々を驚かせたんだ」
■スチュワート・マシューマン:
「僕の曲の多く――“Your Love Is King”、“Smooth Operator”、“No Ordinary Love”――の素晴らしいと思うところは、音楽学校では絶対に教材にできないってことなんだ。ありとあらゆるルールを破っているから。でも、それは意図的じゃなかった。ただ、正しいと感じたことをやっただけなんだ」
■アンドリュー・ヘイル:
「ミュージシャンとしては、曲そのものの力と、人々が感情的につながる様子を目の当たりにできて心強かった。文脈を取り払ってしまえば、そこに残るのはシャーデーの歌声と曲、そして人の心に触れたレコードの音。音楽はそうやって人々の心に届くんだ」
VIDEO