Tom Scholz & Mark Dixon - Michael Putland, Getty Images / Brendan Borrell, YouTube
1981年に
ボストン(Boston) の
トム・ショルツ(Tom Scholz) から、ボストンのリードシンガーに抜擢されるが、それと同時にそのことを誰にも話してはいけないと命じられ、そして約1年後に、もう必要ないと告げられて約束されていた報酬を全額受け取ることなく解雇されたシンガーがいます。この人物がついに沈黙を破り、当時について語っています。
このシンガーはナイアガラフォールズを拠点とするミュージシャン、マーク・ディクソンです。ジャーナリストのブレンダン・ボレルが制作した新しいYouTube動画の中で語っています。
1981年当時、ボストンは不安定な時期でした。ショルツは、ソングライティング・クレジットの分配を受ける権利があると主張する元マネージャーと争っていました。また、ボストンの3枚目のアルバムを期日までに納品できなかったとして、レコードレーベルのCBSから契約不履行で訴えられていました。バンドが活動できない状況の中で、ショルツはメンバーたちに各自のプロジェクトに取り組むよう提案し、それがバンドの解散説につながり、レーベルの懸念をさらに強める結果となりました。
ボストンの3枚目のアルバムにブラッド・デルプが引き続きヴォーカルを担当するかどうか分からなかったショルツは1980年12月11日号の米ローリング・ストーン誌に匿名で広告を出しました。そこには「募集:ロック歌手。初年度最低保証額 50,000 ドル。成功を収めている米国のレコーディングアーティストが、もう1人のヴォーカリストを追加する。シカゴ、フォリナー、ボストン、ニュー・スターシップ、バッド・カンパニーのスタイルのヴォーカルを歌える、高音域の男性を求めている。テープの品質、素材、伴奏は重要ではない。合格者はライヴオーディションを受け、費用は支払われる」と書かれていました。
現在の価値で約20万ドル(約3200万円)に相当する報酬に惹かれたこともあり、当時、ローカルバンドのアヴァランチでフロントマンを務めていたマーク・ディクソンは、この広告を見て、自宅の地下室で3曲を録音しました。その中にはボストンの「Let Me Take You Home Tonight」のカヴァーも含まれていました。
ディクソンはそのテープを広告の住所に送った後、数か月後にショルツから電話があるまでそのことを忘れていました。「彼の声はすぐにわかったよ。彼は“バンドのプロジェクトをプロデュースしている”だけ言って、そのバンドが何かは教えてくれなかった」
ショルツはそのテープを聴き、ディクソンがブラッド・デルプを驚くほど正確に真似できることに感銘を受け、彼をマサチューセッツにあるショルツの自宅に招いて、ボストンが1978年に発表したシングル「A Man I'll Never Be」を録音しました。
ディクソンは「まるで夢みたいだった。ある日は自分の街でライヴをやっていて、次の日にはポップスターと過ごしているなんてね。彼の地下室には、録音に必要なあらゆる最新設備が整っていたよ」と振り返っています。
ショルツは「A Man I'll Never Be」の録音を編集し、デルプのオリジナル・ヴォーカルとディクソンの新録ヴォーカルを交互に織り交ぜました。その後、このテープをCBSレコードの社長ウォルター・イエトニコフにテープを聴かせましたが、彼は2つの声の違いが判別できませんでした。
こうして予備の計画は整いました。デルプがスタジオに戻ったら、ディクソンは身を引く。もしデルプがボストンを辞めたら、ディクソンが後継者となる。イエトニコフもこの計画を了承しましたが、ひと言付け加えました。「このことは内密にしておけ。CBSの内外を問わず、他の誰にも知らせる必要はない」と。(この模様については詳しくは
こちら )
ショルツはディクソンと、ある条件付きで契約しました。その条件とは、当分の間、彼の起用は秘密にしておくということでした。
ショルツはディクソンにこう伝えました。「君に知らせておきたい…君はこれからボストンの新しいリードシンガーになる。…しかし、このことは秘密にしておいてほしい」。これに対してディクソンは「“本当に?秘密にしておく?わかったよ、最善を尽くす”と言った」と振り返っています。
ディクソンは新たな役割に備え、できる限り健康的な生活を送ろうと決心したという。
「当時、俺が飲んでいたのはダイエット・ペプシだけだった。体重を気にして、やるべきことは全部やってた。喫煙も、何もかもやめたい。健康そのものの男だった」
しかし、地元の仲間に事情を説明しなければならないと感じ、ショルツとの約束を破ってしまいました。
「当時の俺のバンドメンバーはみんな、俺に怒ってた――“やめるのか!”ってね。言えなかった……でも言ってしまったんだ。で、どういうわけかトムに伝わっちゃって。ある日、彼から電話が来て、すごく怒ってた。“お前は自分の街で、お前は俺のシンガーだって言いふらしているみたいだな、どういうことだ?”」
ディクソンは、二度とそんなことはするなと警告だけで、その場は事なきを得ました。その年のうちに、彼はショルツから「Don’t Say Goodbye」のデモを受け取りました。ヴォーカルはデルプのものでした。彼はショルツのスタジオに行き、数時間で自分のヴォーカルパートを録音し、その日のうちに帰宅しました。なお、ディクソンは、『Third Stage』となるオリジナルレコーディング・セッションの一部で、リードヴォーカルやハーモニーを歌ったとも伝えられています。
それから数か月の沈黙の後、再びショルツから電話があり、こう告げられました。
「今夜をもって、君はもうボストンのリードシンガーではなくなる。ブラッドが戻ってくる。でも、別の小切手は送るよ……」
ディクソンはこう振り返っています。
「あのときは世界の頂点にいた気分だった。それがまた振り出し、地面に戻ってしまった。おかしいよな。俺はこのことをあまり頻繁に考えることはない。考え始めるのは、きみがこの前みたいに電話してきた時くらいで、そうするとまた落ち込むんだ」
ショルツはディクソンを別のバンドを紹介したそうですが、何も起こらなかったという。ディクソンは、約束された金額の半分ほどしか受け取っていなかったため、ボストンを訴えることを考えたそうですが、結局それは見送ったという。
「酒癖が悪くなった」とディクソンは認め、その一因は、完全な説明を一度も受けていないと感じていたことだとも語っています。
ただし、良い面もあったという。ナイアガラフォールズに戻ると、ボストンの物語におけるあまり知られていない彼の役割が、地元ではロック界の名士扱いとなり、1990年にはバッファロー音楽殿堂入り、2018年にはナイアガラフォールズ音楽殿堂入りを果たしました。引退した今も歌い続け、最近ではスリー・ドッグ・ナイトのトリビュート・バンド、ELIで歌っているという。
「これ以上、何を望むっていうんだい? 名声は欲しいよ。お金も欲しい。だけどね、今、俺は幸せなんだ」
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