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グレイトフル・デッドのボブ・ウェア死去

2026/01/11 14:09掲載(Last Update:2026/01/11 14:21)
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Bob Weir
Bob Weir
米国のジャム・ロックおよびサイケデリック・ロックの先駆者、グレイトフル・デッド(Grateful Dead)の創設メンバーだったギタリスト/ヴォーカリストのボブ・ウェア(ボブ・ウィアー/Bob Weir)が死去。ウェアのSNSアカウントで発表。ウェアは癌との闘病の末、基礎疾患である肺疾患により亡くなりました。78歳でした。

以下、声明より

「深い悲しみとともに、ボブ・ウェアの逝去をお知らせいたします。彼は愛する人々に見守られながら安らかに旅立ちました。ボビーにしかできない勇気をもって癌と闘った後、残念ながら基礎疾患である肺疾患により亡くなりました。

60年以上にわたり、ボビーは旅を続けました。ギタリスト、ヴォーカリスト、ストーリーテラー、そしてグレイトフル・デッドの創設メンバーとして。ボビーは、アメリカ音楽を唯一無二の芸術性で再定義した、永遠の導きの存在であり続けるでしょう。彼の仕事はただ会場を音楽で満たすだけではありませんでした。魂をあたためる陽だまりのように、コミュニティを築き、共通言語を生み出し、何世代にもわたるファンが胸に抱く家族のような絆を育みました。彼が奏でた一音一音、歌った一言一句が、彼の紡いだ物語の欠かせない一部でした。そこには誘いが込められていたのです――感じること、問い続けること、さまようこと、そして居場所を見つけることへの。

ボビーの最後の数ヶ月は、彼の人生を定義した精神をそのまま映し出していました。7月に診断を受けた彼は、治療を開始してからわずか数週間後、故郷のステージに戻り、ゴールデンゲートパークで60年の音楽を祝う3夜連続の公演を行いました。あの公演は、感情的で魂に響き、光に満ちていましたが、それは別れではなく、贈り物でした。また一つの不屈の精神の表れでした。どんな時であれ、自らの意志で前へ進み続けることを選んだアーティスト。ボビーを偲ぶとき、彼の生き方の響きを感じずにはいられません。あてどなく漂い、夢見ながら、道が故郷へ導くかどうかなど、決して気にしなかった男。数えきれない木々の子。果てしない海の子。

ここに終幕はありません。あるのは、ただ再び旅立つ者の気配だけ。彼はよく三百年の遺産について語り、自らの死後もソングブックが永く生き続けることを確信していました。その夢が、未来のデッドヘッズの世代へと受け継がれていきますように。私たちは、彼がこれまで何度も私たちを送り出してくれたのと同じように、彼を送り出します――終わりではなく祝福としての別れを。生きるに値する人生へのごほうびとして。

最愛の家族であるナターシャ、モネ、クロエは、この困難な時期にプライバシーを求めるとともに、寄せられたあふれる愛、支え、そして追悼の思いに深く感謝しています。私たちが彼をしのぶとき、悲しみだけでなく、開かれた心と確かな歩み、そして私たちを故郷へと導く音楽をもって、その勇気ある歩みの中で彼を讃えられますように。明日がもたらすものを見届けましょう」




ボブ・ウェアは1947年10月サンフランシスコで生まれる。本名はロバート・ホール・パーバー。16歳の時にパロアルトの裏路地をさまよっているうちにダナ・モーガンの楽器店に偶然立ち寄り、ジェリー・ガルシアと出会った。二人はマザー・マクリーズ・アップタウン・ジャグ・チャンピオンというジャグバンドを結成することを決め、これが後に1965年にグレイトフル・デッドへと生まれ変わった。バンドの最年少メンバーとして、ウェアはジャズ、カントリー、クラシックの影響を受けたリズムギターにおける独特の演奏スタイルを確立し、これがデッドの即興サウンドの礎となった。またガルシアと共に、バンドのレパートリーの多くでリード・ヴォーカルも担当した。

サンフランシスコの豊かな60年代サイケデリック・ロックの先駆者として台頭したグレイトフル・デッドは、録音作品よりも、常に変化し続ける大規模なライヴ・パフォーマンスで知られるようになり、音楽業界の既成概念に挑戦し続けた。

バンドを中心にデッドヘッズと呼ばれるサブカルチャーが形成され、数十年にわたり公演を追いかけるとともに、バンドの全面的な承認のもとでライヴ音源のブートレグを交換し続けた。

ガルシアが1995年に亡くなった後、ウェアらバンド・メンバーはグレイトフル・デッドの名称を引退させたが、彼はその後も、デッドの派生バンドであるデッド&カンパニーなど数多くのプロジェクトで精力的にツアーを続け、デッドのレガシーを受け継いだ。

グレイトフル・デッドでの功績により、1994年にロックの殿堂入りを果たし、2024年にはケネディ・センター栄誉賞を受賞した。

2025年8月、診断からわずか数週間後、ウェアはデッド&カンパニーとして、サンフランシスコのゴールデンゲートパークで行われたグレイトフル・デッド60周年記念3夜連続公演に参加した。これが彼の最後のパフォーマンスとなった。