ボン・ジョヴィ(Bon Jovi)のギタリスト、
フィル・X(Phil X)は米Guitar Playerの最近のインタビューの中で、どうやってボン・ジョヴィに加入したのか、その舞台裏を語っています。ボン・ジョヴィに加入するにはたくさんの曲を素早く覚えるだけでなく、多くの忍耐も必要でした。
「ジョン(ボン・ジョヴィ)とは、90年代初頭に一緒にセッションをやってからの付き合いなんだけど、最初は僕のことを覚えていなかったと思う。
で、2011年、彼はリッチーとの間でいろいろあってね。特に印象的な出来事が一つある。テレビ番組で“Wanted Dead or Alive”のアコースティック・ヴァージョンを演奏することになったんだけど、リッチーがイントロを最後まで演奏できなかったんだ。
ジョンは“誰かが必要だ。ショーは続けなきゃならない”と言った。プロとしては、そう考えるしかない。彼は(プロデューサーでギタリストの)ジョン・シャンクスに電話した。ジョンは誰とでも繋がっているからね。で、ジョン(シャンクス)が僕に電話してきて“君に仕事があるかもしれない。電話では言えない。明日、僕のスタジオに来てくれないか?”って言われたんだ。
まるで完全に『ミッション:インポッシブル』みたいだった。“この任務を受けるかどうかは君次第……”ってね(笑)。(翌日スタジオに行くと)彼がこう言った。“ボン・ジョヴィでリッチー・サンボラの代役、やってみる気はある?”。僕が“そんなことが可能かどうかはわからない。誰もできないよ”と言うと、彼は“でもジョン(ボン・ジョヴィ)には君が適任だと伝えた。これが契約書で、これが機密保持の誓約書だ。やるのか? 猶予は5秒だ”と言った。
それで、彼らは僕を“待機”にしたんだ。つまり“出られるかもしれないし、出られないかもしれない。リッチーの状態次第だ”ってことだった。
2011年4月14日、ジョン(シャンクス)から電話があってこう言われた。“今月末にニューヨークに行ってバンドとリハーサルをしてから、5月の公演に向けて待機してほしい”と。僕は“了解”って返した。その瞬間、現実味を帯びてきて“マジかよ、飛行機に乗るんだ…”って思ったよ。
で、ニューヨークに飛んで、バンドとリハーサルしたら、ジョンが“リッチーはリハビリ中だ。どうやら5月は君がやることになりそう。初日はニューオーリンズのジャズ・フェスト、土曜日で観客はだいたい5万人くらい”って言うんだよ。だから、まあ、プレッシャーなんてなかったよ(苦笑)。
リハーサル中、(ドラマーの)ティコ(トーレス)が“こいつは誰?”って顔してた。ジョン以外、誰もジョンの計画について深く知らなかったと思う。
で、13公演やったら、“リッチーが戻ってくる。ありがとう、これがボーナスだ”って言われたんだ。いざという時にまた呼ぶかもしれないからっていう、待機料みたいなものだよ。
それから2年後の2013年、(米スーパーマーケットの)トレーダー・ジョーズでバナナをカートに入れてたら、ジョン・ボン・ジョヴィから電話がかかってきたんだ。思わず、電話を掲げて“ジョン・ボン・ジョヴィから電話きた!”って言いたくなったよ(笑)。彼から“今夜カルガリーで君が必要だ。ロードマネージャーから連絡が行く”と言われたので、僕は“わかった”って答えたんだ。
それで彼は続けて“ところでさ、僕たちこの前、アルバムを出したんだ。今夜のためにこの3曲を覚えてくれたら最高なんだけど”とも言った。
僕が“ちょっと待って……君はノーって言葉に慣れてないんだろうけど、ノーだよ。2年前に弾いた曲を思い出すために、君たちのライヴに行く飛行機の中で復習しないといけないんだ。だってそれ以来弾いてないんだから”って言ったら、彼は“ああ、そうだね、まったくその通りだ。全然問題ないよ。じゃあ明日までに覚えて”だって(笑)。
ギターテックに空港にギターを何本か持ってきてもらったんだけど、飛行機に荷物を積み込んでいるうちに飛行機が故障しちゃったんだよ!(笑)で、結局その公演には間に合わなかったけど、次の公演には間に合ったよ。
2011年のようにリッチーが戻ってくると思ってた。でもそうはならなかった。11公演か12公演くらい経ったところで、彼らが“来週ヨーロッパでも君が必要だ。リッチーは戻ってこない”って言ったんだよ。
僕は正直、ヨーロッパに行きたいかどうかかわからないって感じだった。
(それを伝えた直後の)部屋にはパニックが漂ってた。いたのはマネジメントと制作の人たちで、ジョンやバンドはいなかった。彼らがジョンに電話したら、ジョンは“分かった。もっと金をやれ”って言ったんだよ。
で、そんな感じで話が進んで、翌日(ジョンから)電話が来て“君の面倒はちゃんと見るから”って言われた。その時、ジョンはこうも言った。“ヨーロッパでは3時間半のステージをやる。あと25曲覚えてもらうことになるよ”ってね(笑)。
ヨーロッパに行ってから何ヶ月も休みがなかった。休みの日は毎回1~2曲は覚えなきゃならなかったから。クレイジーだったよ。でもそれ以来ずっと一緒にやってる。そういうことさ。バンドのみんなからは本当に多くのことを学んだ。ジョンのやり方、バンドのやり方、そこには本当に素晴らしいものがある。兄弟みたいな、ギャングみたいな絆だ。最高だし、楽しいよ」