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オジー最終公演の「MVP」ヌーノ・ベッテンコート語る 当初は招待されていなかった/決まったら役割が増大/当日は夢心地な自分もいた

2026/01/02 18:08掲載
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Nuno Bettencourt (Image credit: Neil Lupin/Redferns via Getty Images)
Nuno Bettencourt (Image credit: Neil Lupin/Redferns via Getty Images)
オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)ブラック・サバス(Black Sabbath)の最終公演『Back To The Beginning』において、エクストリーム(Extreme)ヌーノ・ベッテンコート(Nuno Bettencourt)は「MVP」とも言われる活躍を見せました。米Guitar Worldの新しいインタビューの中で、この公演を振り返り、当初は招待されていなかったこと、参加が決まった後に役割がどんどん増えていったこと、当日は夢心地な自分もいたことなどを語っています。

「みんなが僕を『Back to the Beginning』のMVPだと言ってるみたいだけど、でも実際のところ、僕がやったのはステージに上がって自分らしく演奏しただけ。曲を学んで、曲に敬意を払っただけなのさ。

(『Back to the Beginning』後の心境について)というか、あれは本当に起きたことなの?(笑) 映像や写真を見て、自分が実際にそこにいて、招待されていたことを、どうにかして信じなければならない、そんな日だった。人生とキャリアにおける節目の一日だったんだよ。

でも正直に言うとね。年明けに(公演の)告知を初めて見たとき、ブラック・サバスとオジーの最終公演で、ほかにもすごいバンドが揃っているのを知って、悔しかったわけじゃなかったけれど、驚いたよ。

さまざまなバンドのアーティストが書かれた長い出演者リストを見て、きっと何らかの理由や繋がりがあるんだろうなと思った。そこに自分の名前はなかった。僕は招待されていなかった。“そっか……”って感じさ。別に自分が呼ばれるべきだと思っていたわけじゃなかったけれど、“これに参加できたら最高だったのにな”とは思った。

1995年にオジーからバンドに入らないかと誘われて断ったから、“断ったからかな”とも思った。オジーのオファーを断る奴なんていない。ギタリストにとって一生に一度の仕事だからね。でもすぐに“自惚れるなよ! (最終公演の招待されなかったのは)ただ候補がたくさんいるだけだ”と思い直した。

でも、次第にこう考えるようになった。エクストリームはいつだってアウトサイダーだった。ロックンロールの異端児みたいな存在だった。誰も僕たちをどう扱えばいいのかわからなかったんだ。“More Than Words”とかで、みんな“こいつらはロックでもメタルでもない…”って感じでさ。

でも、その後、最終公演への出演依頼が来たんだ。呼んでもらえて興奮したよ。トム・モレロがグループを編成していて、彼は“みんな入れ替わり立ち替わり参加して、スーパーグループをやる感じだ。君はそのうちのひとつに入って、2、3曲やることになる”と言われた。

そしたら3日後に“さらに3曲やれる?”って言われてね(笑)。“誰々が来られなくなったんだ”って。さらに数日してから“あと2、3曲やらない? ウルフギャング・ヴァン・ヘイレンが降りたんだ。スケジュールの都合で無理なんだ。翌日に別のライヴがあるらしい”って言われたんだ。

俺は“クソッ。俺だって翌日にライヴがあるんだよ!”って思ったよ(笑)。バーミンガムから飛行機で移動しなきゃいけなくて、絶対にやってはいけないこと“公演当日に飛行機に乗る”をやらざるを得なかった。もしフライトにトラブルがあって、カナダでデフ・レパードと巨大なステージで共演するライヴに間に合わなかったらどうするんだ?

マネージャーは最初、“どっちか選べ”と言っていた。だから俺は“冗談じゃない!デフ・レパードとのライヴはやるし、サバスとオジーの公演もやらないなんてことは絶対にない。両方やる。方法を考えろ。予備の便を確保しとけ。必要なら手漕ぎボートでも渡ってやる”と言ったんだ。

(『Back to the Beginning』では)最終的に12曲やったよ(笑)。

(公演の前)“さあ仕事だ。座ってちゃんと練習しないと”と思って弾き始めたら“なるほど、みんなが降りた理由はこれか”って思ったよ(笑)。テクニカル的に不可能ってわけじゃないけど、ちゃんと準備しないといけない。ランディのパートはちょっと別の言語みたいなところがあるからね。

それらを弾いたのは10代の頃以来だった。当時は正しく弾けてると思ってたけど、全然違ってた。ソロだけじゃなくて、指使いもそう。クラシックの要素が強くて、メロディックで、美しくて、とにかく最高――でも地獄みたいに激しい――そんなプレイなんだ。なぜか、僕はただメロディックなだけだと思い込んでた。

でも、“いや、ここには炎がある。ここではとんでもないことが起きてる”と気づいたんだよ。しかもソロの後には、リズム・ギターの中にすごいフレーズが山ほどある。これは即興じゃ無理だ。ほぼ弾けるレベルじゃダメなんだ。ランディ・ローズなんだけど――同時にジェイク・E・リーのプレイでもあるんだから。

(公演当日は)周りを見渡せば、伝説的なアイコンたちが揃っている。“ここはどこだ?一体何が起きてるんだ?”って感じだった。歴史を体現しようと思ったよ。ランディやジェイク、トニー・アイオミに対して、正しく敬意を示したかったんだ。

あの場では自分が二人いるような感覚があった。特に写真撮影のとき、肩を並べて、巨人たちに触れるような距離に立っている自分は“俺はここにいていいんだよな?”って思っていた。

一方で、(マサチューセッツ州)ハドソンの自分の部屋に座っているアゾレス諸島出身のポルトガル移民の少年が夢でこの光景を見ている、そんな感覚もどこかあった。

その自分はそこに立ちながらこう言っていた。“おい、そろそろ警備員がここに入ってきて、お前を掴んで“おい、ガキ、ここから出て行け。お前はここにいるべきじゃない”って。それで僕は“目が覚めたら、ただの15歳のガキに戻って、くそ、夢だったのか…って言って、みんなに話しても、そんなのありえないよ、って言うんだろうな”って思ったんだよ」