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ジューダス・プリーストをアメリカでブレイクさせた「You've Got Another Thing Comin'」 K・K・ダウニングが誕生と反響を回想

2026/01/01 20:08掲載
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Judas Priest / Screaming For Vengeance - 30th Anniversary Picture disc edition
Judas Priest / Screaming For Vengeance - 30th Anniversary Picture disc edition
ジューダス・プリースト(Judas Priest)をアメリカでブレイクさせた「You've Got Another Thing Comin'」(1982年アルバム『Screaming for Vengeance』収録)。当時のメンバー、K・K・ダウニング(K.K. Downing)は英Metal Hammerの新しいインタビューの中で、この曲の誕生と当時の反響について振り返っています。

「(『Screaming for Vengeance』は)全体としてはかなり統一感のある作品だったが、明らかに浮いた曲が一曲あった。ボブ・ハリガン・Jr.の“(Take These)Chains”のカヴァーだよ。当時はレコード会社がいつも、アルバムにカヴァー曲や外部のソングライターの曲を入れろって強く要求してきた。そうすれば1曲はラジオで大きくかかるからっね。ところがさ、実際にヒットしたのは“You've Got Another Thing Comin’”だったんだ。

(You've Got Another Thing Comin’はアルバム『Screaming for Vengeance』の最終段階で書かれた楽曲でアルバム全体のバランスを取るために構想されました)

俺とグレン(ティプトン)は常に状況を分析していた。たとえば“アルバムに何か付け加えられるものはないか?”ってね。時にはそれは、ものすごくテンポの速いアグレッシブな曲かもしれないし、バラードかもしれない、あるいは作品全体を締めくくるアンセムかもしれない。

(アルバムのラフミックスを聴いたとき、まだ何かが足りないと感じたという)

まあまあ満足はしてたけどね。だから、まだちゃんと形になってない曲について話し合ったんだ

“Screaming For Vengeance”や“Electric Eye”みたいな血湧き肉躍る曲とはまったく違う役割を果たす曲が欲しかった。スタッフォード近郊のグレンの家に行ってアイデアのきざしを得てから、もっとラジオ向けの魅力を高めるために鍋に追加すべき特別なスパイスや風味が必要だと考えた。結果は知っての通り、見事に花開いたよ! 本当に疾走感のある曲で、これを流せば一気に盛り上がる」

アルバムからの先行シングルとしてリリースされた「You've Got Another Thing Comin’」は米Billboard Hot 100にチャートインを果たして最高67位を記録。同月の米メインストリーム・ロック・チャートでは4位に達しました。

アルバム・リリース後の全米ツアー中、彼らは初めて「You've Got Another Thing Comin’」がラジオでヒットし始めていることに気づいたという。

「ツアーが始まると、バスの運転手が地元の局を流してるんだけど、行く先々で、ほぼ必ず流れてた。地元のラジオ局で流れてたし、スーパーマーケットでもショッピングモールでも…とにかくどこでも流れてたんだ!

(チケット需要の急増に合わせてライヴ会場の規模が拡大していきました)

俺たちはアリーナ・バンドになった。あれは本当に素晴らしかったし、自信が一気に高まったよ。

(さらに、プリーストの米国ツアーのいくつかの日程にアイアン・メイデンが参加したことも追い風となりました)

最初は少し気まずかったよ。あいつらも同じように自分たちをすごく誇りに思っていたから。でも、観客にとって相性のいいバンド同士が同じステージに出るのは素晴らしいことだった。観客が求めるものを最大限に引き出せたと思うよ。

あれを体験できたファンは、他ではまず味わえない、そしてこれからも味わえない何かを手にしたんだ。競争は激しく、我々は同じ場所を本気で取り合っていた。“王冠は俺たちのものだ――渡すもんか”って感じでね(笑)! でも、今の偉大なるメイデンを見てみろよ。少なくとも一時期だけど、俺はあのバンドと一緒に世界を巡れたことを心底誇りに思うよ。

アメリカでは『Screaming For Vengeance』は、当時も今も俺たちの最も売れたアルバムだ。毎晩パーティー三昧だった! ホテルの一室を確保して、友達や女の子たちに“そこで会おう!”とだけ伝えてたんだ。日中は移動や取材でめちゃくちゃハードに働いて、あちこち引っ張り回されるわけだから、リラックスする時間が必要だった。報酬は真夜中すぎの自由な時間さ、当然だろ?すべてが最高に楽しかったよ。俺たちは本当に手強い存在だったんだ」