「彼こそがプリテンダーズのサウンドそのものだった」。
プリテンダーズ(The Pretenders)の
クリッシー・ハインド(Chrissie Hynde)は、プリテンダーズを定義した過小評価されたギターヒーロー、
ジェイムス・ハニーマン・スコット(James Honeyman-Scott)に追悼の意を表しています。ハインドは英ガーディアン紙でファンからの質問に答える形で、25歳で急逝したスコットについて語っています。
ジェイムス・ハニーマン・スコットは1982年に急逝するまでにプリテンダーズで2枚のアルバムと1枚のEPを主導しました。
「私はロンドン北部タフネル・パークにある女性専用の下宿の、凍えるように寒い屋根裏部屋に住んでいて、彼ら(創設メンバーのジェイムス・ハニーマン・スコット、ピート・ファーンドン、マーティン・チェンバース)に会う前に何曲かはすでに書いていたと思う。
ジェイムス・ハニーマン・スコット以降に私が一緒にやってきたギタリストは皆、彼の影響を受けている。例えばジョニー・マーもそうね(マーは1987年に短期間参加)。
ジェイムスが私の家の玄関にやって来た瞬間、私たちは一緒にバンドを組むことになるだろうと直感した。
(彼女の2025年ソロ・アルバム『Duets Special』をプロデュースし演奏も担当した)ベンジー・ライサート(Benji Lysaght)とは、ケータリングで彼が私のところにやってきて“ジェイムス・ハニーマン・スコットについて伺ってもいいですか?”と声をかけてきたことをきっかけに親しくなったのよ。
信じられない。ジミーは25歳で亡くなった。彼のことを覚えているのはギタリストだけかもしれないけど、彼こそがプリテンダーズのサウンドそのものだった。
私は“怒れるバイカー娘”だった。彼は私の中のメロディーを引き出してくれたのよ。
彼が亡くなって1年後、私は(ロサンゼルスの)サンセット・マーキスにいて、彼のことを考えていた。ギターを借りて“2000 Miles”を書いたのよ。あのギターがどうしても欲しかったのに、レンタル会社が売ってくれなかったことを、今でもずっと残念に思っている」