スティッフ・レコードの共同創設者の一人として、エルヴィス・コステロ、ザ・ダムド、ザ・ポーグス、マッドネス、モーターヘッドらと契約を結んだデイヴ・ロビンソン(82歳)は現在、戦火に揺れるウクライナにライヴ音楽を届ける活動を続けています。なぜ行うのか? 「ウクライナには音楽を必要としている人たちがいる。だから行くんだ」と彼は英BBCのインタビューの中で語っています。
ロビンソンにとって、ツアーは良いミュージシャンであるための根幹だという。スティッフ・レコーズに所属していたすべてのバンドは、ライヴを続けるよう奨励されていました。
ロビンソンのキャリアのスタートは写真家で、1960年代、仕事でリヴァプールのキャヴァーン・クラブを訪れた時、ビートルズを含む数々のバンドを撮影していました。数年後、ハンブルクでの公演を重ねた後のビートルズの映像を見て、ロビンソンはツアーが彼らを変えたと確信しました。彼にとって、ビートルズは、ツアーでバンドがどのように成長していくかを示す完璧な例だと説明しています。
「ツアーが好きなんだ。ツアーこそがバンドを作ると思う。ハンブルクこそがビートルズを作った。私が彼らを撮ったとき、彼らはまだハンブルクに行っていなかった。彼らはまったく別のバンドだった…。それが毎晩ツアーに出て、練習して、ライヴを作り上げて、磨き上げ、見に来てくれる観客に本当に魅力的ものに提供する……。これら全てを私はスティフ・レコードで専門的に手掛けてきたんだよ」
ロビンソンは1968年、ソフト・マシーンとジミ・ヘンドリックスの米国ツアーに同行し、ツアーのメインマネージャーが病に倒れたとき、彼は3か月間、その代役を務めました。その期間を彼は「人格形成期」と呼んでいます。
「成功からは何の経験も得られない。経験は災難から得るものだ」と語り、当時は現金を持ち歩くため銃を常に持っていなければならなかったこと、黒人はあまり飛行機を利用しなかったため、空港で多くの人から罵声を浴びせられたことなどを振り返っています。
80代に入った今も、ロビンソンは何十年にもわたる経験を生かして、最も過酷な状況の中で新しいバンドを支援しています。
11月には、英カーライルのバンド、ハードウィック・サーカスとともに、ウクライナで2度目のツアーを行いました。このツアーは、ポーランド国境に近いウクライナ西部のリヴィウから始まり、キーウ、テルノーピリなどを巡ったという。
過去にバンドを刑務所に連れて行ったり、北アイルランド紛争の時期にツアーを行ったりしてきたロビンソンは、ウクライナは今、どこよりも音楽を必要としていると考えています。
「英国の人々は音楽を必要としているかもしれないし、そうでないかもしれない。しかしウクライナは音楽を必要としている。だから我々は行くんだ」
ウクライナでの反応は圧倒的に好意的で、すべての公演が満員でした。彼が見るところ、観客の多くは若者で、主に女性でした。男性の多くが前線で戦っているためだという。
ロビンソンは公演の合間には、破壊された車両や爆撃された建物を目にし、またサイレンや爆発音を耳にしたという。また、安全のため地下会場で演奏することも多かったという。
ツアー中、ロビンソンは重い肺炎を患い、3日間意識不明の状態になりました。それでも、できるだけ早く復帰して、ウクライナでのツアーをさらに企画したいと意欲を見せています。
「私はいろんな人とツアーをしてきた。ツアーが好きだし、計画を立てるのも好きだし、全てを調整するのも好きなんだ。音楽こそが全てだし、音楽こそがとても重要なんだ。このツアーは自虐行為ではない。苦しむためのものでもないし、罰でもない。音楽を必要としている人々、フェスに来る人たち以上に必要としている人々に届けるためのものだ。
バンドのみんなにはこう伝えた。“安全は保証できない。もちろんできる限りのことはするが、行く理由は、そこに音楽が必要だから。音楽を必要としている人たちがいるからだ”と。
英国の人たちが音楽を必要としているかどうかは分からないが、ウクライナは音楽を必要としている。だから行くんだ」