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グラハム・ボネット語る ELOからオファーされたこと/マイケル・シェンカーとの関係/今もコージー・パウエルのことを毎日のように思い出すこと

2025/12/29 21:02掲載
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Graham Bonnet
Graham Bonnet
グラハム・ボネット(Graham Bonnet)は米Blabbermouthの新しいインタビューの中で、エレクトリック・ライト・オーケストラ(Electric Light Orchestra / ELO)からオファーされたこと/マイケル・シェンカー(Michael Schenker)との関係/今もコージー・パウエル(Cozy Powell)のことを毎日のように思い出し、彼の声が聞こえると語っています。

「断るべきじゃなかった仕事もいくつかオファーされた。その一つがELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)だった。ジェフ・リンから電話があって“僕とロイ・ウッドがハイドパーク近くのスタジオで録音しているものを聴きに来ないか?”と言われたので、ある日の午後に行ってみた。俺が結婚するずっと前のことだ。彼らがテープを流してくれて、俺は“おいおい、なんだこれは”って驚いたよ。クラシック風のメロディがあって“すごいな”って言ったんだ。すると彼らから“バンドに入ってヴォーカルをやってくれないか?”と言われた。バンドは2つあって、ひとつはウィザード、もうひとつはELOという名前だと言われた。夜によってメンバーを入れ替えるつもりだとも言っていて、ある夜はこっちのバンドで、別の夜は別のバンドで演奏する、みたいな感じ。ロイはウィザードに、ジェフはELOにそれぞれいると説明された。俺は“面白そうだね”と言うと、ジェフが“君にはベースを弾きながら歌ってほしい”と言った。俺はスタジオ録音ならベースを弾けるけど、ライヴでは弾いたことはなかった。だから“それは無理だと思う。ライヴでギターを弾くのは簡単だ。でもベースを弾くのはどうだろう?”と答えた。ベースラインを歌っちゃいそうだ、とも思ったよ。自分はベースとヴォーカルを兼ねるほど上手くないと思っていた。スタジオワークではやってこれたけれど、その2つを同時にやるのは俺には無理だと思ったんだ。

そのあとホークウインドやユーライア・ヒープといった、いろいろ変わったバンドからも話が来た。電話はたくさんもらったよ。“ユーライア・ヒープって何だ?”って感じだった。サザン・コンフォートに少し在籍したこともある。スウィートからも(オファーがあった)。俺のプロデューサーのピップ・ウィリアムズはスウィートとも仕事をしていて、ある日一緒に作業していたときに“今からパブに行く。友達が来るんだ、スウィートの連中がさ”と言ったので、俺もパブへ行った。スウィートは、ヒット曲をたくさん持っているけど、ヴォーカルが抜けて、新しいヴォーカルを探していた。彼らは“グラハム、バンドに入らないか?”と言ってきた。俺は“どうかな”と答えた。結局、“どうかな”という返事のまま、そこから立ち去った。俺には合っていなかったんだ。

(マイケル・シェンカーとの関係について)

彼はとてもユニーク。まずマイケルは予測不能なところがある。彼が何を仕掛けてくるか、まったく見当がつかない。俺も同じだけどね。“こうあるべきだ”とは考えない。数年前に一緒にライヴをやったとき、マイケルは急にライヴの進め方に関しては軍隊みたいに厳格になった。“君はここ。あなたはそこにいて。で、そのあと横から入ってきて”みたいな。めちゃくちゃしっかりしてたよ。

彼と一緒に作ったアルバム『Assault Attack』は本当に魔法みたいだった。すごく良かった。あの時期は最高だった。ドラムはコージー・パウエルだったんだけど、ある日マイケルとのリハーサル中に、二人の間に争いが勃発した。何が原因だったかはわからない。彼(コージー)がマイケルを殴ったんだ。マイケルは泣きながら“コージー、もう無理だ!”って言った。で、コージーはクビになった。それでテッド・マッケンナが入った。テッドは本当に素晴らしかったよ。

(コージーのことをよく思い出す?)

毎日だよ。ベスアミや親しい友達に聞いてみればいい。彼は毎日ここにいる。彼は俺と一緒にいるんだ。“それはやめとけ、グラハム。クソだ”って言う彼の声が聞こえるんだよ。レインボーで曲を録っていたときも、彼はリッチーに“いや、ダメだ。その部分カットしてくれ”って言っていた。アルバムの多くの曲を彼がアレンジしていた。俺らはすごく似ていた。誕生日も同じ月だしね。山羊座だからってことが何か関係あるかはわからないが。彼は兄弟みたいな存在だった。俺が何か言えば、彼が何て言うか分かったし、彼が何かプレイすれば、彼が何を演るか分かった。コージーはステージですごいドラムのフレーズを見せつけようなんてしなかった。俺の歌を全部聴いていて、俺がテンポを落とせば彼も落とした。彼は単にドラムを叩いていただけじゃない。曲を演奏していたんだ。それがコージー・パウエルだった。テッドはコージーにとてもよく似ていた。二人とももうこの世にはいない。それが本当に嫌なんだ」