ボブ・ディラン(Bob Dylan) 出演の音楽映画『ハーツ・オブ・ファイヤー(Hearts Of Fire)』(1987年)は批評家から酷評され、興行的にも失敗に終わりました。撮影も問題が多かったようで、劇中のディラン・バンドのギタリスト役で出演したスティーヴ・ボルトンは米Guitar Playerの最近のインタビューの中で、この映画の撮影の舞台裏を振り返っています。
ボルトンはセッション・ギタリストとして著名で、アトミック・ルースターに在籍したことでも知られています。またザ・フーの1989年再結成ツアーにも参加し、ポール・ヤングのバンドにも参加していました。
ボルトンは映画『ハーツ・オブ・ファイヤー』では、ディランが演じたミュージシャン、ビリー・パーカーが率いるバンドのギタリスト、スパイダーを演じました。
1937年公開の『スタア誕生(A Star Is Born)』を1980年代風にアレンジしたという『ハーツ・オブ・ファイヤー』は、『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』などで知られるリチャード・マーカンドが監督を務めました。映画にはディランに加え、ルパート・エヴェレット、フィオナ・フラナガン、リッチー・ヘイヴンズ、イアン・デュリーらも出演しています。
ボルトンが説明するように、撮影は監督にとってストレスの多いものとなりました。ディランの特異な性格や撮影プロセスへの不慣れさが、監督の悩みをさらに増幅させていました。
ボルトンはこう話しています。
「レコード会社から電話があって、ボブ・ディランの映画で役をもらったと言われたんだ。撮影現場では、自分用のトレーラーまで用意されていて、“Boltz”って書いてあったよ。
(ボルトンは撮影初日に現場でディランと対面しました)
彼との最初のシーンは古い倉庫だった。僕らがシーンのリハーサルをしていると、ボブがテレキャスターを持って入ってきた。当時の彼は、実質的に誰とも口をきかない、ちょっと変な時期で、僕の身長(188cm)について監督に何か言ったんだと思う。すぐに僕は後方のフライトケースに座ってビールを飲むよう指示されたんだ」
ボルトンによると、ディランがステージ上でバッキング・トラックに合わせて口パクするシーンで、彼はテレキャスターをアンプに通して実際に演奏することに固執し、監督や撮影スタッフの不満を招いたという。
「ボブがギターをかき鳴らして、曲の終わりに近づくと、ドラマーがドラムフィルを決めて、そしてマイクがオンになって、すぐに(ボブの)ちょっとした会話が入るシーンだった。ボブのセリフは“ヘイ、ニコ、ドラム強すぎだよ、ここは第三次世界大戦じゃないんだ”って感じだった。だけど、監督は(ボブの)セリフを聞こえるようにするには(ボブの)ギターの音量を下げなきゃいけないってことを、どうしてもボブに理解させられなかったんだ。
1時間半後経ってもボブはまだできなかった。何度も何度も曲をやるんけど、毎回マイクがオンになってもボブはまだ音量を下げないんだ。そこで、ボブのアンプの後ろに寝そべってボリュームを下げる係をつけることにした。監督が“カット!”と叫んで、ようやくそのシーンが撮れたんだよ。本当に奇妙な光景だった。
ロンドンのカムデン・タウンにあるエレクトリック・ボールルームでシーンを撮影していた時だった。待ち時間ってのは、信じられないくらい退屈なんだよ。何が起きているのか、いよいよ始まる直前まで誰も教えてくれないから、ただぶらぶら待ってるだけ。雇い集めた観客――パンクや変わり者ばかりだった――がいて、僕たちはひどいレゲエの曲に合わせて口パクする予定だったんだ。
Zodiac Mindwarp and the Love Reactionというロンドンの新鋭バンドもこの映画に出るはずだった。でも、ロンドンのクラブの外で何か事件を起こし、結局ぶち込まれてしまったんだ。
(ボルトンは彼らが口パクする予定だった曲の歌詞のコピーを持っていた)
(彼の記憶では)歌詞はこうだ。“俺は愛の大司祭/チ◯コの先から赤ん坊をぶっ放す/これはサイエンスじゃない ベイビー/マジックさ”。
僕はボブのほうを向いて“君が書くべきなのは、まさにこういう歌詞だよ”って言ったんだ。
彼は僕を見て、間を置いてこう言った。“そう思うのかい?”。
僕は答えた。“いや。からかっただけだよ”」
『ハーツ・オブ・ファイヤー』は1987年10月にイギリスで公開されましたが、興行的には失敗に終わりました。アメリカでは限定公開にとどまり、そこでも同様の結果に終わりました。批評家からは酷評され、その後、ディラン本人も本作を批判しました。
監督のマーカンドは『ハーツ・オブ・ファイヤー』公開の1ヶ月前に脳梗塞で亡くなりました。
「結局、あの映画が彼を殺したんだ」とボルトンは主張しています。
『ハーツ・オブ・ファイヤー』トレーラー映像
VIDEO