ハロウィン(Helloween) の「I Want Out」は
カイ・ハンセン(Kai Hansen) によって書かれたもので、この曲はバンドを脱退したいという強い思いを暗示するものでした。ハンセンは英Metal Hammerの新しいインタビューの中で、当時のことを振り返っています。
「(成功した『Keeper of the Seven Keys: Part I』を引っさげて)ヨーロッパやアメリカ、日本をくまなくツアーした。インターネットなんてなかったから、愛する人たちと連絡を取るには、あのクソみたいな公衆電話ボックスに行かなきゃならなかった。もちろん、俺たちはできる限りパーティーもしていた。そしていつかは代償が来る。俺にとっては過酷な代償だった。体調を崩して、2ヶ月も入院したんだ」
ハロウィンはその時点まで数年フル稼働していて、過酷なツアースケジュールとハンセンのライフスタイルが、彼の心身の健康を確実に蝕んでいました。ハンセンは全米ツアー中、1987年の終わりにB型肝炎の治療で入院しました。その入院中に、自分が数年前に結成したハロウィンに対して気持ちが冷めつつあることに気づいたという。2ヶ月を経てようやく退院した彼は、何かを変えねばと思い行動を取ります。
ハンセンは「もっと短いツアーにしよう」と提案したものの、他のメンバーからは賛同を得られなかったという。幻滅はしたものの、ハンセンは辞めず、代わりに彼は、その苛立ちをハロウィンの次のアルバムに収録される曲に注ぎ込みました。そのタイトルは「I Want Out」。実質的に辞表になることをほとんど隠していませんでした。
ハンセンは当時のハロウィンについて、こう振り返っています。
「バンドの財政状況については全然分かっていなかった。毎月わずかな金を貰うだけだった。誰に何の支払いがされているのか、どれだけのお金が入ってきていて、何に対してどれだけのお金が出ていっているのか、まったく知らなかった。それが気に入らなかったんだ。“情報を教えてくれないか? 誰が誰のために働いてるんだ?”ってね。
(バンドメンバー間にも緊張があり)当時のハロウィンは結束の固い集団ではなかったんだ。
ヴァイキー(マイケル・ヴァイカート)と(マイケル)キスクは“こういうメタルをずっとやっていきたいの?”と言っていた。キスクはもっとシンガー・ソングライター的なもの、エルヴィス的なものに傾いていた。ヴァイキーは“俺たちはビートルズみたいにならなきゃ”という感じだった。インゴ(シュヴィヒテンバーグ)、マーカス(グロスコフ)、そして俺は頑固者でさ。“俺たちはロックしたい。メタルをやりたい”ってね」
「I Want Out」を書いたとき、彼はハロウィンを完全に去りたいと思っていたわけではなかったという。しかし、彼はかつてイギリス人の叔母からもらった助言が頭から離れなかったという。
「彼女はこう言ったんだ。“カイ、何をするにしても、心を込めてやりなさい。愛するか、変えるか、それとも去るかよ”とね。その言葉がずっと頭の中で鳴り響いていたんだ」
「I Want Out」を作り終えると、彼は自身が感じている懸念をバンドの他のメンバーに伝えました。
「みんなに言ったんだ。“何かを変えなきゃいけない。ツアーはやるけど、もし何も変わらなかったら、俺は辞めるかもしれない”って。(このバンドは)最初から俺の子どもみたいなものだったからね。辞めたくなかったんだ。
(その結果は)みんな無関心だった。
ヴァイキーは満足してたよ。だって俺たちは競い合ってたからね。で、キスクは“そんなことするなんてバカだ、どうして?”って感じだった。
(バンド脱退について)自信に満ちて自由を感じた。一方で、“クソ、うまくやれたかもしれないのにな”って気持ちもあった」
バンドに復帰した後もこの曲は彼らのセットリストで重要な位置を占め続けています。ハンセンは今、こう語っています。
「これは正直な曲。心から書いたんだ。結局のところ、戻ってくるためには、一度去らなきゃならなかったんだと思う」
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