シカゴ(Chicago)はシカゴ・トランジット・オーソリティと名乗っていた1969年に
ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)のツアーでオープニングアクトを務めました。この経緯と、当時、シカゴとジミヘンが手を組む可能性があったことを、メンバーの
ジェームズ・パンコウ(James Pankow)がポッドキャスト『Broken Record』の最近のインタビューの中で振り返っています。
「サンセット・ストリップのウィスキー・ア・ゴーゴーにいた時だった。僕らはアルバート・キングのオープニングでね。楽屋で出番を待っていた。すると、ドアをノックする音がして、ドアを開けるとヘンドリックスが立っていた。“まじでジミ・ヘンドリックス?”ってなったよ。
彼は楽屋に来てくれて、こう言ったんだ。“君たちには俺より上手いギタリストがいて、まるで一つの肺みたいに鳴るホーンセクションがある。ツアーに同行しないか?”ってね。
(バンドの返答は)“もちろん!”。
気づいたら、僕たちは彼の夏のツアーのオープニングアクトを務めていた」
この経験がシカゴに「業界への足がかり」を与えたという。「そして僕たちは、二度とその足を引っ込めなかった」と付け加えています。
バックステージでのヘンドリックスがどんな人だったかと尋ねられると、パンコウはこう答えています。
「彼はとても内省的で、とてもシャイで、静かな人だった。面白いのはね、僕らは一緒にツアーを回っていたんだけど、(シカゴの創立メンバーでギタリストの)テリー(キャス)は彼の前で緊張し、ヘンドリックスもテリーの前で緊張していた。お互いどう接していいかわからなかったんだよ。でも最終的には打ち解けて、アイデアを交換し始めていた。
テリーは彼と一緒に演奏したかっただろうね。彼は一瞬でジミ・ヘンドリックスのバンドに入って、僕らのもとを去っていたかもしれない。
実際、僕らの間で、ジミと一緒に何かプロジェクトをやるかもしれないって話が出ていたんだ。でも、彼はあまりにも早く逝ってしまった。テリーも早すぎたよ」
ヘンドリックスは1970年に亡くなり、キャスは1978年に亡くなりました。