Ozzy & Sharon Osbourne: Let's get trophy hunting banned!
オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne) の妻でマネージャーだったシャロン・オズボーンは『Piers Morgan Uncensored』の新しいインタビューの中で、オジーが亡くなった時に「後を追わなかった」理由を語っています。また、オジーが亡くなった後、シャロンが自宅でしていることも明かしています。
「オジーと一緒に逝っていたでしょうね…ええ、間違いなく。やりたいことは全部やったから。でも、子供たちが…信じられないくらい、本当に素晴らしく私を支えてくれたの。3人ともね。
(インタビュアー:子どもや孫たちの存在がここにとどまる決断の理由だったのでしょうか?)
何年も前、私が精神的に参ってしまったとき、治療のために小さな施設に入ったの。そこには2人の少女がいた。お互い面識はなかったけれど、同じ施設にいた。2人とも母親が自殺していた。彼女たちの状態と、それが彼女たちの人生に与えた影響を見て思ったの。絶対に、絶対に、絶対に自分の子供たちにそんな思いはさせないって。
悲しみは今、私の友達になった……とても奇妙な感覚。あれほど愛した人を失い、その死を悼む日々は、私が生き抜くべき現実なの。やがて慣れるわ。慣れてみせる、そうしなきゃいけないのよ。だって、人生は続くのだから」
オジーはオズボーン家の敷地内にあるクラブアップルの木の下に埋葬されています。シャロンたちは毎日、その墓を訪れ、語りかけているという。
「みんな、彼のところへ行って、彼と話しているのよ。家の中ではいつも何本もろうそくを灯している。決してろうそくが消えることはない。彼の写真の前でも、家の中でも。
目覚めたときから抱える痛みは、消えることはない。まるで胸に大きな穴が開いたような感覚。子どもたちもまったく同じ気持ちなのよ。結局のところ、私たち全員にいつか訪れるものだから、どうしようもないわよね」
インタビューでは、オジーが亡くなった後、シャロンが自宅でしていることも明かしています。
「毎日こう思うの。“自分をどうしたらいいの? いったい何をすればいい?”って。
私がずっとやっているのは、オジーの日記を読み返すことだけ。彼は毎日、日誌をつけていた」
シャロンによると、オジーは1984年に薬物依存症のリハビリ施設に入った時に日記を書き始めたという。
「毎日のように“日記を書きなさい、書きなさい”と言われて、彼は続けたの。その後また飲酒を始めたけれど(それでも日記は書き続けた)」
シャロンがオジーの日記を実際に読んだのは今回が初めてだという。オジーは文章の中で「とても正直」だったと説明する一方で、オジーが自分自身をどう見ていたかについては「悲しい」内容もあったという。「彼は日記の中で自分をひどく貶めていた」とシャロンは語っています。
日記に加えて、シャロンはオジーが長年にわたって描いた2000点以上の絵も所有しています。現時点では日記や絵画を公開する計画はありませんが、シャロンは「もしかしたら」一部を公開するかもしれないと話しています。
このインタビューではまた、初めて公の場でオジーの最期の瞬間について詳細を語っています。オジーがシャロンに残した最後の言葉も明かしています。詳しくは
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