ボストン(Boston)の3rdアルバム『Third Stage』は、1978年発表の前作『Don't Look Back』から8年後の1986年に発表されました。この間、完璧主義者
トム・ショルツ(Tom Scholz)のレコーディング作業はなかなか進まず、最終的に業を煮やしたCBSレコードに契約不履行で訴えられたが、まだCBSが待ってくれていた時期、ショルツは秘密の計画をCBSレコードの社長ウォルター・イエトニコフに話していました。
ジャーナリストのブレンダン・ボレルは、アルバム『Third Stage』をめぐって、ショルツとイエトニコフが交わした会談の物語を著書『Power Soak: Invention, Obsession and the Price of the Perfect Sound』で伝えています。この物語を伝えるため、ボレルは新たなインタビューを行い、連邦公文書館、裁判所、関係者個人のコレクションから、何千ページもの忘れ去られた文書を収集したという。抜粋がUltimate Classic Rockで公開されています。
以下、抜粋より
「CBSレコードとの厳しい契約により、ボストンは年に1~2枚のアルバムを出し続けることを求められていた。そんなばかげた締め切りを守れた者は、ほとんどいない。だが、トム・ショルツほど露骨にそれを無視した人物もいなかった。
彼の3枚目のアルバムは、当初の契約ではすでに3年遅れており、延長が認められた後もまだ遅れていた。1981年5月、ショルツはウェスタン・ユニオンからCBSレコードのトップ、ウォルター・イエトニコフに電報を送り、この遅延を自分以外のあらゆる要因のせいにした。
“新しいアルバムのリリースに関して、多くの問題点が浮上しています。いくつかはエピックのスタッフを通じて試みましたが、解決に至りませんでした。また、あなたの判断と承認が必要な問題もあります。現時点では、これらの問題点を検討する時間がないのは明らかです……アルバムの納品は延期されます”
数か月後にショルツがブラック・ロックに足を踏み入れたとき、イエトニコフは機嫌が悪かった。イエトニコフはマフィアのドンが説教を始めるかのように、ショルツを座らせ、彼はまず、ある話を始めた。
エピックの別のバンド、チープ・トリックは、ほぼ1年ものあいだ新作を届けていなかった。彼らは契約の再交渉を狙っていて意図的に提供を控えているのだと、イエトニコフは言った。それに対して、CBSは彼らに5,200万ドルの訴訟を起こした。
イエトニコフはショルツの注意を確実に引きつけた。“CBSは、その気になれば本当に厄介な相手になるぞ”と彼は言った。そして少し間を置いて、彼はその文を一語一句そのまま繰り返した。
それから彼は本題に移った。ショルツは、次のアルバムをこの秋にリリースすると約束していた。予定どおり出るのか? レコーディングは骨の折れる作業だったが、マネージャーのポール・アハーンとの争いが解決し、前進しているとショルツは言った。ショルツはテーマ性のあるアルバムを構想していた。単なる商業的な製品ではなく、個人的な声明であり、成人期を過ぎ、自分がどのような人間になりたいのかを思い描く中で起きた内面的な変化を反映したものだった。
仮タイトルも『Third Stage』と決めていた。バラード曲“Amanda”は、ほぼ完成していた。
年末までに納品できるのか? たぶん、とショルツは言った。彼はドラマーのシブ・ハシアンとベーシストのフラン・シーンと一緒にレコーディングで忙しくしていた。
イェトニコフは、ショルツがギタリストのバリー・グドローを失ったことを知っており、グドローの義理の兄弟であるブラッド・デルプが引き続きヴォーカルを担当するかどうかを知りたがっていた。デルプの歌声と感性は、ショルツの過剰に作り込まれた楽曲に、必要不可欠な感情を吹き込んでいた。ショルツが公演後にホテルの部屋に引きこもったとき、コンサートのあと遅くまで残って、Tシャツやアルバムジャケットすべてにサインしていたのはデルプだった。
ショルツはイエトニコフに、デルプの立場は不確かだと認めた。デルプはスタジオ作業をいくつかこなしていたが、バンドのツアーに再び参加するかは未定だった。
人間関係はショルツの得意分野ではなかったかもしれないが、問題解決は得意だった。彼はイエトニコフに、古い曲の新しいテープを差し出した。
スピーカーから流れてきたのは“A Man I’ll Never Be”――バンドのセカンド・アルバムに収録されている曲だ。ショルツのムーディーなピアノとオルガンの音色、そしてパワフルなギターサウンドの上に、バターのように滑らかなヴォーカルが乗っていた。イエトニコフは熱心に耳を傾けた。そして種明かしの瞬間が訪れた。
ショルツは、イエトニコフが聴いている声はデルプの声ではない――いや、デルプの声だけではないのだと説明した。
グドローのソロ・アルバムのリリース後、ショルツはデルプと“まったく同じ歌声”を持つレプリカを見つけるために、“全国をくまなく探しまわる一人キャンペーン”を展開していた。彼はローリング・ストーン誌の巻末に“求む:ロック・シンガー 初年度最低保証5万ドル”という匿名広告を出していた。応募者は、シカゴ、フォリナー、バッド・カンパニー、そしてもちろんボストンを再現できる実力を示すテープを、ニューヨーク州ホワイトプレインズの私書箱宛てに送るよう指示された。そして“条件を満たす応募者は、費用支給で実地オーディションを行います”と。
何千人もの応募があった。
ショルツは、ニューヨーク州ナイアガラフォールズの改装されたボウリング場でカヴァー・バンドのヴォーカルをしていたマーク・ディクソンという男性に、声の類似性を見つけた。ショルツは彼を自宅の地下室に連れて行き、録音を行った。ショルツが、イエトニコフに聴かせたトラックでは、デルプとディクソンの歌声が交互に流れていた。
イエトニコフもショルツも、その違いを見分けることはできなかった。
ショルツは、アルバムでは両方のヴォーカリストを起用したいが、もしデルプが降りるならディクソンをツアーに参加させたいと語った。イエトニコフの承認が得られれば、ショルツはディクソンをバンドの給与支払いの対象とするつもりだった。イエトニコフはそれを了承したが、ひと言付け加えた。このことは内密にしておけ。CBSの内外を問わず、他の誰にも知らせる必要はない、と。
これは、彼らの間だけの内密の了解のひとつだった」