
Pink Floyd / Wish You Were Here 50
ピンク・フロイド(Pink Floyd)『Wish You Were Here』50周年記念盤には、「マイク・ザ・マイク (Mike The Mike)」の愛称で知られる有名なテーパー、マイク・ミラードが客席で録音したライヴ音源が収録されます。これにあわせ、米ローリング・ストーン誌では、マイク・ミラードを特集。ミラードの録音パートナーであるジム・ラインスタインが証言しています。
マイク・ミラードは1973年から1993年の間に、ロサンゼルスでの300以上のコンサートを、高音質で録音しました。中でもレッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、ローリング・ストーンズが有名です。
彼は録音機を偽装するため車椅子を利用して録音を行っていました(特集では具体的な方法も紹介していますが、この記事ではそこには触れません)。
レッド・ツェッペリンの公演では、ミラードは最前列で録音していましたが、そもそも、なぜ最前列のチケットを確保できていたのか? 当時チケットは郵送応募制でしたが、ラインスタインは「そのシステムは完全に腐敗していたんだ。チケット会社のアル・ブルックスに知り合いがいてね。彼はどのセクションにも座席を持っていたから、僕たちは自由に席を選ぶことができたんだよ」と振り返っています。
同時代の多くのテーパーと違って、ミラードは自分の録音で利益を得ることにまったく興味がなかったという。あくまで純粋な趣味でした。友人にコピーを渡すときには、決めた箇所にごく短い音声の抜けを入れ、それを綿密に記録していました。もし彼のテープが商業的なブートレグの元になってしまった場合、誰が流出させたのかを正確に突き止められるようにするためでした。
『Wish You Were Here』50周年記念盤のライナーノーツを寄稿したライター兼アーキビストのエリック・フラニガンは同誌にこう話しています。
「よく見落とされがちなんですが、マイクは音楽の趣味がとても幅広かったんです。たしかに彼はレッド・ツェッペリンの素晴らしいテープを残しています。でも、チック・コリアやスタンリー・クラーク、ジョニ・ミッチェル、プリテンダーズの素晴らしいテープもあります。彼は大規模なハードロック公演の録音で有名ですが、私が聴いた中で飛び抜けて優れているのはチック・コリアのテープです。それから、なぜ彼が1980年のピンク・フロイドや1977年のアナハイム・スタジアムでの公演をなぜ録音しなかったのか、1981年のストーンズをなぜ録音しなかったのか、と不思議に思う人がいますが、それは彼が希望する席が取れなかったからです。希望する席を確保できない場合、彼は録音を行いませんでした。だからこそ彼の録音成功率は非常に高いものとなっているのです」
詳細は不明ですが、ミラードは1983年に警備に見つかったあと、録音活動を5年間休止しました。1988年に再び録音活動を再開した頃には相棒のラインスタインはすでに別の道を歩んでいました。ラインスタインが知る限り、ミラードはマウント・サン・アントニオ・カレッジの音響映像部門で働いていたという。1994年になる頃にはミラードはうつ病と闘っていました。一時的に障害手当で生活した後、職場復帰を試みていたそうですが、1994年の後半、ミラードはビルから飛び降りて亡くなりました。
何年ものあいだ、ミラードのテープアーカイブは彼の母親の家のクローゼットにしまわれ、ほこりをかぶっていました。その大半は、彼のごく少数の友人以外には誰にも聴かれたことがありませんでした。ラインスタインはこう振り返っています。
「たまに夕食に行くことはあったけど、彼の母親にテープのことを尋ねようとは思わなかった。50-50のパートナーだったから、ある意味、あのテープは半分は僕のものだったけどね。そのうち、共通の友人が彼の母親と親しくなり、彼女はその友人にテープを託した。僕たちはそのうちの約250本を(BitTorrentのサイト)Dimeadozen と Trader’s Den で公開した。中には古すぎて、リールからテープを巻き取ってケースを交換しなければならなかったものもあったよ」
それらがBitTorrentコミュニティで広まり、やがてYouTubeにも上がるようになると、「マイク・ザ・マイク」は、最高級の音質を表す代名詞になりました。そして相変わらず、そこから一銭も稼いでいません。
『Wish You Were Here』50周年記念盤にミラードの録音が収録されることについてラインスタインは「彼は狂喜しただろうね。彼の作品に公認の証が与えられたんだから。もはや海賊版ではなく、正当な記録となったんだ」と語っています。