HOME > ニュース >

フリーとフェイセズで活躍 ベーシストの山内テツ死去

2025/12/06 16:59掲載
メールで知らせる   このエントリーをはてなブックマークに追加  
Tetsu Yamauchi
Tetsu Yamauchi
1970年代にブリティッシュ・ロック・バンド、フリー(Free)フェイセズ(Faces)で活躍していたことで知られるベーシストの山内テツが死去。家族がSNSで発表。79歳でした。

以下、家族の声明より

『【大切なご報告】

いつも応援してくださっている皆さまへ。
令7年12月4日、山内テツは家族に見守れる中、安らかに永眠しました。
これまでテツの音を楽しみ、温かい言葉をかけてくださった皆さまに心より感謝申し上げます。

「楽しかったなぁ。」
it's long time,but short time.』



訃報を受け、フェイセズの公式SNSアカウント、フリー時代のバンドメイトであるサイモン・カークが追悼コメントを発表しています。

■フェイセズ

「テツさんのご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。彼を知り、愛したすべての方々に、心からお祈りとお見舞いを申し上げます。
彼の不在は、私たち皆にとって大きな寂しさとなるでしょう」



■サイモン・カーク

「悲しい知らせですが、テツが亡くなったと聞きました。彼は良き友人であり、素晴らしいベーシストでした。ご家族と親しい方々へ、心よりお悔やみ申し上げます。どうか安らかにお眠りください」



山内テツは1946年10月、福岡県福岡市生まれ。本名は山内 哲夫。1968年にマイク眞木を中心に結成されたザ・マイクスに加入して音楽活動を開始。ミッキーカーチス&サムライのメンバーとして、ヨーロッパでツアーを行い、サムライはロンドンのスタジオでアルバムのレコーディングに少し行った。この活動がきっかけで、テツは東京とロンドンでセッション・ミュージシャンとして働くようになった。

1971年4月、初来日したフリーのポール・コゾフ(ギター)、サイモン・カーク(ドラム)とスタジオで出会い、意気投合。フリーはまもなく解散し、1972年、テツは、コゾフとカーク、そしてアメリカ人のラビット(キーボード)と共に、コゾフ・カーク・テツ・ラビット名義のアルバムを発表した。

その後、アンディ・フレイザーに代わってフリーに加入し、1973年の最後のスタジオアルバム『Heartbreaker』に参加した。

フリー解散後の1973年、ロニー・レーンに代わってフェイセズに加入。2枚のシングル・リリース、1974年のライヴアルバム『Coast to Coast: Overture』と『Beginners』に参加し、日本公演を含むツアーに参加した。

1975年にフェイセズが解散すると日本に帰国。自身のバンドや他のアーティストとのツアーやレコーディングを続けた。2011年以降は表立った音楽活動を行っておらず、フェイセズの再結成への招待も断っていた。