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コクトー・ツインズのサイモン・レイモンド、バンド・メンバーとの偶然の出会いを回想

2025/11/28 19:54掲載
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Cocteau Twins
Cocteau Twins
コクトー・ツインズ(Cocteau Twins)に途中加入したサイモン・レイモンド(Simon Raymonde)エリザベス・フレイザー(Elizabeth Fraser)、ロビン・ガスリー(Robin Guthrie)との出会いは偶然で、サイモンがレコード店で働いている時でした。どういう経緯でバンドに加入したのか、自身の回顧録『In One Ear: Cocteau Twins, Ivor and Me』で振り返っています。

当時、サイモンはレコード店ベガーズ・バンケットで働いていました。この店のすぐ上の階には英国のインディーズレーベル4ADとベガーズ・バンケットのオフィスがありました。

「1982年の春、この店での偶然の出会いが僕の人生を変え、今でも影響を与え続けている一連の出来事の始まりとなった。

レコード店は毎日午前10時に開店し、11時頃には4ADやベガーズ(バンケット)のレーベル関係者の多くが上の階のオフィスに来ていた。スティーヴと僕はいつも9時までに出社して、早めに届く荷物に間に合うようにコーヒーを飲みつつ、前夜に見たバンドの情報をチェックしていた。

ある朝、僕たちがいくつかの箱を開けていると、ドアを優しくノックする音がした。顔を上げると、ガラス越しに3人がこちらをのぞいており、皆、僕と同じくらいの年頃だった。僕はドアの鍵を開けに歩み寄った。

“やあ、開店は10時なんだ。1時間くらいしてから戻って来られるかい?”

ほとんど聞き取れないささやき声で、大きな方の男が尋ねた。“アイヴォいますか?”。

アイヴォ・ワッツ=ラッセルは4ADというレーベルを運営していたが、10時前に出社することは決してなかった。

“いや、ごめん。レーベルの人たちはしばらくは来ないと思うよ。何かお手伝いしましょうか? 僕はこの店で働いているだけなんだけどね”

“このテープを彼に渡していただけませんか? 私たちの最初の音源なんです”と、世界で最も柔らかい声が答えた。

“もちろん。彼がここを通るときに必ず渡すよ。もし自分で渡したいなら、そんなに時間はかからずここに来るはずだよ”

“いえ、それは大丈夫。あなたが渡してくれるなら。私たちはすぐにスコットランド行きのバスに乗らないといけないので”

4ADのトップに渡すことを託された最初の音源は、スコットランドのトリオ、コクトー・ツインズのカセットテープだった。僕はギタリストのロビン・ガスリーと話をし、彼はヴォーカルのエリザベス・フレイザーとベーシストのウィル・ヘッジーと一緒だった。この瞬間のことを、僕はよく思い出すよ。

もしもあの日、僕が働いていなかったら? もし僕がトイレにいっていて、スティーヴが僕の代わりにドアを開けていたら? 僕はいまこの本を書いていただろうか? うーん…。この最初の出会いがきっかけで、その後の一年ほどで僕たちは固い友情を育んでいったんだ。

1983年、ウィルがコクトー・ツインズを去り、ロビンとエリザベスは故郷のグランジマスを離れてロンドンへ移った。彼らが近くに住むようになってからは会う機会も増え、彼らが(ポストパンク・バンドの)ドローニング・クレイズのファンだと知って嬉しかった。

人前ではひどく内気に見えたけれど、会うたびに通じ合うものを感じた。彼らはプライベートな人たちで、決してパーティー好きではないところも、また気に入っていた。僕たちは同い年で、金もなく、同じ音楽を好んでいた。

(中略)

初期の頃は、次に一緒に遊べる時をいつも楽しみにしていた。エリザベスは最初は物静かで、その大きな瑠璃色の瞳の奥に悲しみを垣間見たものの、いつも穏やかで優しく、笑うときは全身で笑う人で、それを見るといつも幸せな気持ちになった。

その年、彼らがイギリスで行ったヘッドライン・ツアーをいくつかの都市で観た。だいたいアイヴォと一緒だった。ある公演のあと、立ち話をしていると、ロビンが“スタジオ作業が大好きなんだけど、エンジニアにあれこれいじられずに録音してみたい”と言った。そこで僕は2人に、週末に手伝っていたカムデンタウンの小さな16トラック・スタジオを使わないかと誘った。もちろん僕はエンジニアなんかじゃなくて、この時点ではどちらかといえばアシスタントに近かった。だから2人が来たときは、ひととおりスタジオを案内してから、“お茶とか何か欲しいものあったら言ってね”と言った。

“どんなことを考えてるんだい?” ロビンは柔らかいスコットランド訛りで尋ねた。

“ええと、アールグレイがあったと思うけど?”と僕は答えた。

“違う。君は僕らと一緒に曲を書きたいんじゃないのかと思ってたんだけど?”と彼は事もなげに言った。まるで僕がそのことを気づいていなかったことに少し呆れたような口調で。

“えー、えっと……いや、ただ、君たちがスタジオを自分たちだけで使いたいのかなって思って。オーナーが留守だし、僕よりも君たちの方がスタジオを活用できるだろうと思ったんだよ!”

“じゃあ、使えそうなベースラインは何かある? とりあえずプラグを差し込んで音を出してみないか?” ロビンが優しく言った。

僕は返事をしなかった。ただベースを取りに行ってプラグを差し込んだ。まだ少しショック状態だったけど、あたかもそれが当たり前のことのように装って。リズ(エリザベス・フレイザー)は“みんなの分のチップスを買ってくるね”と言って出かけ、ロビンと僕を二人きりにした。

確かに半端なベースラインがひとつあった。30分もしないうちに、ベース、ドラム、ギターが揃ったインストゥルメンタル曲のほぼ全編を録音していた。まるで本物の曲のように、しっかりとした構成で。

なんというか、それはそのまま勝手に……自然と録れたんだ。どうしてなのか全然わからない。こんな経験は初めてだった。リズが戻ってきたとき、彼女は瞳を輝かせて目を見開き、顔がほころんだ。

“今まで聴いた中で最も美しいものの一つよ。最高よ!”

その言葉を聞いて鳥肌が立った。当時はその重要性に気づかなかったが、その後何度も思い返した。ほとんど知らない人たちと音楽を作るのは昔から怖かった――正直、今でもあまり得意じゃない――でも、このセッションへの参加はあまりに予想外で予定外だったから、不安がる暇がなかったんだ。どうしてそんなことが起きたのか、答えよりも疑問のほうがずっと多かった。

カムデンの小さなレコーディング・スタジオで録ったまさにその音源こそが、僕らが最初に共作した曲“Millimillenary”となり、コンピレーション『The Pink Opaque』に収録されたんだ。

“まず演奏しよう、名前はあとでいいじゃないか。”――マイルス・デイヴィス」