
Pink Floyd / Wish You Were Here
ピンク・フロイド(Pink Floyd)の
ニック・メイスン(Nick Mason)は、英MOJO誌の新しいインタビューの中で、『Wish You Were Here』の発売50周年を記念して、同作の制作と、スタジオに予期せず現れた
シド・バレット(Syd Barrett)について語っています。
「(『Wish You Were Here』の制作は)それまでに制作したアルバムや、その後に制作したアルバムと比べると、それはまるでレンガの壁にぶつかったような(=行き詰まった)感じだった。そもそも僕たちにはアイデアがまったくなかった。しかも僕たちは間違った。本当はスタジオに戻るのを遅らせて、『The Dark Side Of The Moon』のツアーをもっと長く続けるべきだったんだ。それから、忘れられがちなのは、僕たちは成長していたとは言えなくとも、確実に年を取っていたということ。もう愛すべきマッシュルーム・カットの4人なんかじゃなかったんだよ」
Q:過去にピンク・フロイドの成功はビートルズのおかげだと語っていましたね。どういう意味ですか?
「僕はビートルズにはいつも感謝を伝えてきた。僕たちが『The Piper At The Gates Of Dawn』をアビー・ロードで制作していたとき、彼らは『Sgt Pepper』を録音していた。『Sgt Pepper』が成功したことで、EMIはバンドを自由にさせてくれたし、僕たちが音楽制作において完全な自由を得る助けとなった。EMIは、無制限のスタジオ時間と引き換えに、僕たちが、より低いロイヤルティ率を選んだことに驚いていたと思う。今思えば、あれは実は悪いアイデアだった。もし何らかの制約――例えばスタジオの時計が時を刻むような制限――があったなら、無駄なことをやめていたかもしれない。
(インタビュアー:『Wish You Were Here』の続編として計画された、楽器を使わずに音楽を作る『Household Objects』プロジェクトのことですか? あれ誰の発案だったんですか?)
僕じゃないよ。仮に僕が思いついたとしてもやらないないけどね。曲なんてなかったし、メロディもなかった。今なら午後のうちにコンピューターで全部できちゃうよ。やらなくて本当に良かった、神様に感謝だね」
Q:『Wish You Were Here』ボックスセットには、アルバム制作中にシド・バレットがアビーロードを訪れたときの写真が収められています。彼に会ったのはそれが最後ですか?
「はい。ドラムパートを録音した後、コントロールルームに入ったとき、彼だと気づかなかった。とてもショックだったよ。デイヴ(ギルモア)から“ニック、あれはシドだ”と言われて気づいた。数年前までは彼が一度しか来ていないと思っていたけど、写真を見ると服装が違うので複数回来ていたことがわかる。ただ、2日目には僕はそこにいなかった」
Q:『Wish You Were Here』は今のあなたにとってどんな意味を持っていますか?
「当時は制作が非常に困難だったため、この作品を過小評価していた。だからずっと少し嫌な印象が残っていたんだ。でも今ではすっかり見方が変わった。音楽は好きだし、(ジャケットデザインの)ヒプノシスが持ち込んだ要素も好きだよ。今となっては古臭いかもしれないし、音楽とグラフィックの関係性を理解する人は少なくなっている。でも、全体として見事に調和していると思うよ」
Q:ピンク・フロイドの音楽の将来をどう見ていますか?
「いずれは音楽大学で講義科目になるだろうし、研究する人たちも出てくるはず。孫たちに“おじいちゃんがやったんだよ”と言ってもらえるのはなかなか嬉しいものだよ。
(インタビュアー:その大学のコースに合格できますか?)
いや。少し前に娘が僕にオンラインのピンク・フロイド・クイズをやらせたんだけど、56%しか正解できなかった。だから、僕がすべての答えを知っているとは思わないでほしいよ」
Q:『ボヘミアン・ラプソディ』や『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』みたいなピンク・フロイドの伝記映画はどうですか?
「まあ、そのうちドキュメンタリードラマみたいなものが作られるだろうね。できれば見たくないけど。どういう展開になるかは分かってるよ、“バンドを始めよう!よし!”ってね。で、誰が僕を演じるのか? ロバート・レッドフォードはもういないから、トム・クルーズってことになるかな」