ザ・ストーン・ローゼズ(The Stone Roses)と
プライマル・スクリーム(Primal Scream)で活躍したベーシストの
マニ(Mani)の友人で、フリーベースと呼ばれるバンドでも一緒に演奏していた
ジョイ・ディヴィジョン(Joy Division)/
ニュー・オーダー(New Order)の
ピーター・フック(Peter Hook)がマニに捧げる追悼文を英ガーディアン紙に寄稿しています。
2人が出会ったのは、ストーン・ローゼズの「Elephant Stone」をフックがプロデュースした時でした。
「マニを道化師やふざけたやつと呼ぶ人もいるが、それは正確な表現ではない。たしかに彼は、とても愉快なやつで、庶民派で、ユーモアに溢れ、型破りな男だった。しかし同時に強烈な情熱の持ち主で、愚か者を容赦しなかった。マンチェスター・ユナイテッドへの愛であれ、仲間を守ることであれ、信じるものに対してはとことん情熱的だった。何かが間違っていると感じたり、理不尽だと感じたら、執拗に食い下がる。マニが味方につけば、もう勝ったも同然だった。彼はファイターで、一歩も引かない。それでいて、誰からも愛され、悪口を言う人など一人もいなかった。
ベースプレイヤーとして、彼は最高だった。誰もが彼になりたがった。マニがストーン・ローゼズに加わったことが決定的な違いを生んだ。彼はグルーヴの達人で、グルーヴィーな音楽にどっぷり浸かっていた。最近、インスタグラムで彼が“Fool’s Gold”を弾いているのを見て、“どうやってあれを弾いてるんだ?”と思ったよ。(元ザ・スミスのベーシストで、フリーベースのメンバーだった)アンディ・ルークと同様、マニはとてもメロディックに弾いていた。俺もそうだけど、マニの方がずっと繊細だった。俺はいつもギターと張り合おうとしていたけれど、マニは巧みにその周りを縫うように弾いた。見事な技だ。でも、正直、彼が何を弾こうが気にしなかった。極端に言えば、床にベースを叩きつけていたって構わなかった。だって、彼はマニなんだから。
彼は史上最もクールなバンド2つ、ストーン・ローゼズとプライマル・スクリームに在籍した。実は俺もプライマルのオーディションを受けたんだけど、“ニュー・オーダーすぎる”って言われて落ちたんだ。だからマニがその仕事を得たとき、すぐに俺に電話してきた。“よう、No 2。No 1だ”。彼はいつも俺をNo 2って呼んでいた。ルークは“No 3”。俺たち三人の間の冗談のやり取りは最高だったよ。
マニがしたかったのは、とにかく演奏すること、とりわけ人前で演奏するのが大好きだった。ローゼズが再結成したとき、彼は初期の頃のように戻ってほしいと切望していたが、そうならなかったのが本当に胸を痛めた。でも、金銭面でもそれ以外の面でも多くの困難を乗り越えた末に、最後に大きな報酬を得られたのは良かったと思う。そのおかげで、彼と(妻の)イメルダは素敵な暮らしができたのだから。息子たちを授かった時、彼らは本当に幸せそうだった。素敵な小さな家族だった。
演奏しなくなった後、彼はDJを始め、その選曲はファンクとソウルという彼自身のベースプレイを反映していた。彼は仕事を休むことなく、発表したばかりのトーク・ツアーをとても楽しみにしていた。それが始まる前に逝ってしまったのは胸が張り裂ける。二人の少年たちが、短期間で両親を相次いで失ったことに胸が痛むよ。
マニが亡くなったときに溢れた悲嘆と哀しみの大きさは、本当に驚くべきものだった。ポップスターに対して、少なくとも近年では、これほどのものは見たことがないと思う。今やマンチェスターのあらゆるレジェンドが“自分が死んだ時、これだけの扱いを受けるだろうか?”と自問しているだろう。これは断言できる――マニは決して忘れ去られることはない、と」