ポーティスヘッド(Portishead)の
ジェフ・バーロウ(Geoff Barrow)は、「1990年代、ポーティスヘッド、マッシヴ・アタック、トリッキーはどのような関係だったのか?」「『Dummy』が90年代のセックス・プレイリストにおける陰のヒーローであったことをどう思っているのか?」「ポーティスヘッドの新曲は期待できるのか?」「今の音楽業界」について語っています。英ガーディアン紙の企画で、ファンからの質問に答える形で語っています。
Q:ブリストルの3大クラシック・アルバム、ポーティスヘッド『Dummy』(1994年)、トリッキー『Maxinquaye』(1995年)、マッシヴ・アタック『Protection』(1994年)がほぼ同時期にリリースされた時、アナログ/エレクトロニックなプロダクションに本当に度肝を抜かれました。あの3作がどれだけ繋がっていて影響力があったか、あなたは当時わかっていましたか? それとも互いにいがみ合うのに忙しかったですか?
「いがみ合いはなかったよ。マッシヴのDJマッシュルームやワイルド・バンチ(サウンドシステム)、スミス&マイティといったグランドマスターたちはみんな、本当に協力的だったからね。マッシヴが『Blue Lines』を作っていたとき、僕はスタジオでお茶やサンドイッチを用意していた。トリッキーはザ・ポップ・グループのマーク・スチュワートとも一緒にやっていたしね。だから豊富な経験があった。みんな同じパンクな姿勢を持っていて“ロンドンの音楽業界の連中はクソ野郎どもだ。僕たちに干渉するな。金に困ってるわけじゃない”って感じだった。結局みんなメジャーレーベルと契約したんだけど、宣伝に金を使ってもらえたのはすごく大きかった。僕たちはそれぞれ別々のスタジオで作業していたから、お互いにそんなに会うこともなかったし、アルバムが売れ始めてからは誰にも会わなくなった。“ブリストル・シーン”という呼び方には反発していた。僕たちの前にはリップ・リグ・アンド・パニックやHeadというパンク/レゲエ・バンドがいたからね。確かにみんなを動かす何かが街に漂っていたんだ」
Q:『Dummy』でのあなたの音響実験が、これほど多くの恋愛模様を彩る背景になると想像したことはありますか? また90年代のセックス・プレイリストにおける陰のヒーローとなったことについて、どう感じていますか?
「外に出てエクスタシーをやって、戻ってきてスプリフを吸って、『Dummy』をかけていたって聞いたことがある。音楽だけを聴いたら“めっちゃチルだな”って思うかもしれない。でも、僕の音楽における最悪の評価が”チル”ってこと! 吐き気がするよ。みんなベス(ギボンズ)の声だけを聴いていて、彼女が何を歌っているか耳を傾けていない。そこは大きな違いなんだ。実際に“うちの娘は君の音楽でできたんだ”なんて言う人までいる。僕は“ふざけんな”って思うよ。愛を営むのに、これほど最悪な音楽は思いつかない」
Q:そう遠くない将来に、ポーティスヘッドの新曲は期待できますか?
「いいえ。少なくとも僕にはその考えはない。映画や映画音楽には学ぶことが本当にたくさんあって、今はそこに情熱を注いでいる。でも、解散したわけじゃない。ただそれぞれ違うことをしているだけ。ウクライナのためにライヴをやったし、ブライアン・イーノの『Together for Palestine』コンサートのために“Roads”を録音したりもした。そういうことが、僕たちをまた集めて何かを一緒にやらせてくれるんだ」
Q:「Roads」の冒頭50秒なら何時間でも繰り返して聴くことができる。同じように感じる曲のイントロはありますか?
「パブリック・エナミーの『Fear of a Black Planet』に収録されているターミネーターXのインストゥルメンタル曲“Contract on the World Love Jam”だね。教会の鐘の音で始まって、ビートが入った瞬間は何度聴いても鳥肌が立つよ。Lowの曲でもそうなるものがいくつかあって、特に“Plastic Cup”はそうだね」
Q:SNSでは相変わらず不機嫌なの?
「不機嫌じゃないよ。ただ音楽業界に心底失望してるんだ。素晴らしいミュージシャンにたくさん出会うけど、マーケティング予算がないから話題にならない。業界の中に入ると、そこにはかなり嫌な奴らがいるって気づく。僕は“この音楽はクソだ”という感覚を失ったことがない。白人の50代の男としては、たぶんあまりいい見え方じゃなんだろうけどね」