
Ozzy Osbourne at Back to the Beginning (c)Ross Halfin
オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)の妻シャロンと、子供のケリーとジャックは、オジーが亡くなってから初めてとなるポッドキャスト『The Osbournes Podcast』の新しいエピソードを公開しました。
オジーは7月の最終公演『Back to the Beginning』のわずか2週間前に入院していました。入院の具体的な理由は明かさなかったものの、シャロンは公演前にこの事実を秘密にしておくことがいかに重要だったかを強調しています。
シャロンによると、家族は人々に知られることを恐れていたので、病院のスタッフや警備員に対し、誰にも嗅ぎ回られないようにするため、非常に具体的な指示を出していたという。
その後、オジーの本名である「ジョン・オズボーン」を探しに来た人物が現れ、自分は彼の兄弟だと名乗りました。本当のオジーの兄弟でさえ、オジーが入院していることを知らなかったので、シャロンはその人物は記者だと確信したという。最終的に、その男性は同じ病院に入院している、同姓同名の別人であるジョン・オズボーンの兄弟であることが判明しました。シャロンは「パパは大笑いしてた」とオジーの反応を語っています。
オジーは晩年、健康問題に悩まされ続けました。その多くは2019年に転倒したことに起因していますが、シャロンたちによると、最後の7ヶ月は特に過酷だったという。2024年12月には転倒して別の脊椎を骨折し、入院中に肺炎を併発したと明かしています。
オジーは最終的に脊椎の痛みを治療するための手術を受けましたが、その結果、再び肺炎にかかり、さらに敗血症も併発。ほかにも、血栓、初期の肺気腫、脊椎の損傷、パーキンソン病、肺の虚脱、慢性閉塞性肺疾患(肺の損傷によって引き起こされる疾患)、そして心臓の問題など、多くの病気を抱えていました。
会話の中で、シャロンはオジーが良くならないと悟ったのはいつだったか語っています。
「敗血症の時ね、彼がそれ(2025年初頭)と診断された時、私は“彼はこの影響に耐えられない”って思ったのよ。だって、本当に恐ろしいものだから。残酷な病気よ。頭の中で、“彼はもたない”“いや、オジーよ。彼ならやり遂げる”って言い合ってたのが聞こえた。彼の持つ全ての力を奪い取っていた。3月には、もう彼を失うのではないかと思っていたわよ」
同じ頃、最終公演『Back to the Beginning』を中止する話も出ていました。しかし、オジーは公演を決行する決意を固めていました。
ケリーは「彼は“ありがとう”と言いたかった。それは、パパにとってこの世の何より大切なことでした」と言い、シャロンは「人間の精神は何よりも強い。彼は本当に固く決意していた。絶対に公演をやり遂げると強く決めていた。彼は決して諦めようとはしなかったのよ」と付け加えています。
オジーの強い決意にもかかわらず、家族は準備中のオジーの不機嫌さを思い出して笑い合っています。
シャロンは「こんなにたくさんの“失せろ、出ていけ、失せろ”を一度に聞いたのは初めてよ」と冗談めかして言い、ジャックは「一日おきに“公演は中止だ、俺はやらない”って言ってた。でも結局“いや、いや、いや、やっぱり中止にしないでくれ”ってなるんだよ」と付け加えています。
そして、シャロンは「確かに彼は公演をやり遂げた。でも彼があれほど早く逝くとは思わなかった。全く予想していなかった」と語っています。
オジーは最終公演『Back to the Beginning』に集まった観客の数と、ファンから巻き起こった巨大な反響に圧倒されていたという。シャロンはこう続けています。
「彼は公演への評価や人々の反応を信じられなかった。ただただ圧倒されていた。その時、私は気づいた。彼がどれだけ多くの人々に人間として愛されていたかを、彼は全く理解していなかったことに。ブラック・サバスのフロントマンとしてでも、ソロ活動としてでもなく、ただ彼という存在そのものが愛されていた。人々は彼を愛していたのに、彼はそれをまったく理解していなかったのよ」
ジャックはこう続けています。
「面白いと思ったのはね、彼が初めて公演後にSNSにアクセスしたこと。普段はほとんど使わなかったから。7年前に病気になるまでソーシャルメディアは持っていなかった。公演のあと、インスタグラムやフェイスブック、TikTokを見たりして、称賛の声や人々が彼を愛している様子を目にしたんだ」
そしてシャロンはこう話しています。
「オジーのような人物は二度と現れないでしょう。あのような親しみやすさと才能を兼ね備えた人は二度と出てこないでしょう。彼は唯一無二だった。完全に唯一無二の存在だった」