デヴィッド・バーン(David Byrne)はポッドキャスト『The Louis Theroux Podcast』の新しいインタビューの中で、
トーキング・ヘッズ(Talking Heads)の音楽性がどのようにして生まれたのか振り返り、また、自身がトーキング・ヘッズ時代は「偉そうな奴」だったと認めています。
「僕らのレコード・コレクションは、ロキシー・ミュージック、イギー・ポップ、ジェームス・ブラウン、ハミルトン・ボハノン、オージェイズなど、さまざまなものが混在していた。そういうものを概念的に組み合わせるところを想像してみてほしい。同時に、僕たちにはいくつかルールもあった。大物ロックバンドのような、長くて自己満足的なギター・ソロはやらない、というのもその一つ。
僕はエリック・クラプトンのソロとか、そういうのを聴いて育った。でも僕らはそれはやらない。彼らがすでにそれをやっているし、本当に上手い。だから僕はそれはやらないって決めたんだ。
演奏する各楽器パートには、それが何を意味するにせよ、それ自体が独自性を持たせなければならないという考え方もあった。単に他のパートを支えるだけじゃない。それ自体が独立して存在している。例えば、ベース・パートがギター・パート同様にメロディックであるように。各パートがそれぞれのアイデンティティを持ち、それらが全て調和しているんだ。
僕たちはファンク・ミュージックが大好きだけど、それをアートロックと融合させた。どんなファンキーなことをやるにしても、僕たちなりのオタクっぽい白人のやり方でやらなきゃいけないと感じていた。“よし、ここで最高のファンキーなリフをやるぞ”というわけにはいかない。その感覚を保ちつつ踊りたくなるような音楽にはできるけど、それはあくまで僕たち自身のオタクっぽい白人の感覚から生まれたものでないといけないんだ。
ステージ上での自分の動きについても同じ気持ちだった。最初はまったく動かなかった。やがて“よし、動きたい気分だ。音楽が踊りたくさせる。でも、他の人がやっている動きをそのまま取り入れるわけにはいかない。自分なりの動きを考え出さねば”と思うようになって。一気にではなく少しずつ、少しずつ、それができるようになったんだ。
(インタビュアー:トーキング・ヘッズのよく知られている話として、バンド内に摩擦があり、君は時に扱いにくい人物だったと言われている)
否定はしない。僕の社交スキルは限られてた。例えば『Stop Making Sense』ツアーの時みたいに、僕が芸術的なビジョンを持っていた時は…ちょっと偉そうになる。ちょっと偉そうな奴になっていた。自分が望むものは分かっていたが、それを協力的で円滑に実現する方法を知らなかったんだ。
若い頃のミュージシャンやバンドにはよくあることだけど“こうでなきゃダメ”という感じだった。だから、一緒に仕事をするのが必ずしも楽しい相手ではなかったことは自覚している。
(インタビュアー:時々、あなたのバンドって表現を耳にする。つまり“David Byrne and The Talking Heads”。それともトーキング・ヘッズはバンド、つまり対等なメンバーの集合体みたいな感じだった? どっちだったと思う?)
まあ、両方とも少しずつだね。さっきも言ったように、僕の頭の中で固まったアイデアがあって“これをやるんだ”と押し通すこともあったけど、でも、それも素晴らしいバンドじゃなかったら絶対にうまくいかなかった…僕らが信じられないくらい息の合った演奏をしていなかったら、きっとね」