元
ザ・スミス(The Smiths)のドラマー、
マイク・ジョイス(Mike Joyce)は回顧録『The Drums』の発売にあわせた英ガーディアン紙に新しいインタビューの中で、モリッシーとの関係について、バンドの突然の解散について、ロイヤリティをめぐる訴訟などについて語っています。
■回顧録の中でモリッシーを表現するの難しかった
「モリッシーのことが嫌いだったみたいに聞こえてほしくはないんだ。彼は本当に最高だった。とても面白い男で、鋭いユーモアの持ち主だった。でも関係性は異質だった。距離があった。僕たちは根本的に違う人間だと受け入れていたんだ。
僕が知る限り、彼の政治的な考えは確かに僕とは大きく異なる。それは彼の意見だ。彼はとにかくいろんなことにすごく怒っているように見える。もちろん“ザ・スミスは聴けない。芸術と芸術家を分離できない”という声は耳にするよ。もしそう感じるなら、それで構わない。
(モリッシーの歌詞は)唯一無二だ。誰もあんな風に書けない。陰惨でハンサムで下品で魅力的な要素の融合。素晴らしい声。ステージパフォーマンスは興味深く、魅惑的で、信じられないほど巧みだ。強烈な組み合わせだよ」
■ロイヤリティをめぐる訴訟
1984年、ジョイスはバンドの会計士との打ち合わせに呼び出されました。ラフ・トレードと契約する際、モリッシーと
ジョニー・マー(Johnny Marr)だけが契約書に署名したことに、彼はあまり気に留めていませんでした。
「それは僕ら全員を代表してのことだと思っていた。でもそれは間違いだった」
やがて彼と
アンディ・ルーク(Andy Rourke)は、永久にレコーディング・ロイヤリティを受け取ることはできないと告げられました。
「僕はただ“それはおかしいだろう”と言っただけだよ。その話は二度と持ち出されなかった」
1985年、ジョイスはラフトレードの社員マーサ・デフォーから電話を受けます。それはモリッシーの代理人としての電話で、ジョイスはインタビューをしないしアートワークも作らないのだから取り分を25%から15%に引き下げてはどうかという提案でした。彼は即座に拒否しました。彼は回顧録の中で、彼らが裏工作をしていたとほのめかしています。「そう呼んでくれて構わない。だからこそ法廷に行ったんだ」。
ジョイスとルークは後に、ロイヤルティで実際に支払われていたのは10%だと知り、1989年、モリッシーとマーを相手取り訴訟を起こしました。ロイヤルティは25%の等分配を要求しました。モリッシーとマーは、バンドのメンバーは対等なパートナーではなかったと主張しましたが、ジョイスは「あの四人だからこそ、あのサウンドがザ・スミスのように聞こえたのだと思う」と主張しています。
ルークは「相当な圧力」の下で示談に応じましたが、ジョイスは1996年に裁判を続けました。もし負けていたら破滅していただろうと彼は言っています。
「でも、そうしなければ何が起きたのか誰にもわからないと思ったんだ。僕は自分に正当に支払われるべきもの、正しいと思うものが欲しかっただけだよ」
ジョン・ウィークス判事はジョイスの主張を認め、100万ポンドの賠償を命じました。ウィークス判事は当時、モリッシーを「ずる賢く、強情で、信頼できない」、マーを「証言を脚色することをいとわず、その結果として信頼性を損なった」と評しました。
この訴訟は、今も続く分裂を引き起こし、ジョイスは今もモリッシー・ファンからSNSで頻繁に誹謗中傷を受けていると語っています。
ジョイスがモリッシーと最後にまともに話したのは1992年、アルトリンチャで偶然出会った時でした。マーとは、マンチェスター・シティの試合で観客席からちらりと視線を交わすことがあった以外は、2023年に亡くなったルークの追悼式まで、まったく連絡を取っていませんでした。
「(訴訟を起こしたことは)後悔はしていない。(どんな代償があって)していない。ジュリアン・コープのことは訴えていないけど、彼とは30年も話していない。バンドを一緒にやっていた人たちと連絡を取らなくなることは、そんなに不思議じゃないんだ」
■バンドの突然の解散
ザ・スミスの解散は突然でした。マーはロンドンのノッティング・ヒルにあるフィッシュアンドチップ店に全員を呼び出し、脱退を告げました。ジョイスは不意を突かれたという。「(僕は)ポテトを食べに行くと思ってた」
ザ・スミス再結成の噂は絶えません。昨年、AEGがツアーのために2,500万ドルを提示したと報じられました。ジョイスはそれを報道で知ったそうですが、もし実現したとしても、自分に声がかかるとは思っていないという。「あの裁判でその権利を失ったと思う」と語っています。
あらゆる出来事を経ても、ジョイスはザ・スミスとしての時間をこれ以上ないほど誇りに思っているという。
「僕は英国で最もクールで最高のバンドにいたんだ。人生で間違いなく大当たりを引いたよ」