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ルディ・サーゾ語る なぜ最初オジーのオファーを断ったのか?/オーディションについて/合格後もバンドに馴染めるかどうか不安だった理由

2025/10/31 20:48掲載
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Rudy Sarzo, Randy Rhoads, Ozzy Osbourne & Tommy Aldridge
Rudy Sarzo, Randy Rhoads, Ozzy Osbourne & Tommy Aldridge
オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)のバンドでも活躍したベーシストのルディ・サーゾ。(Rudy Sarzo)ポッドキャスト『The Magnificent Others with Billy Corgan』の最近のインタビューの中で、なぜ最初オジーのオファーを断ったのか? オジー楽曲を知らないで受けることになったオーディションについて、オーディション合格後も自分がバンドに馴染めるかどうか不安だった理由について語っています。

「当時、俺はパンキー・メドウズ率いるエンジェルで演奏してたんだけど、ちょうどカサブランカとのレコード契約を失ったところだった。でも俺は幸せだった。みんなのことが大好きだったからね。みんな本当にいい奴らだった。居心地もよかったし、俺はエンジェルで演奏したかった。自分の居場所があったんだ。彼らはビッグバンドだった。

(ある日、電話が鳴る。クワイエット・ライオットのケヴィン・ダブロウが出ると、それはオジーの妻でマネージャーのシャロンからだった。ダブロウがサーゾに伝えると)

彼女から“やあ、ルディ、こちらは。オジーのマネージャーのシャロンよ。ランディ(ローズ)からあなたのことを聞いたわ。オーディションに来てほしいの”と言われたが、俺は即座に返事してしまった。何も考えていなかったし、“わあ、それは素晴らしいね”とも言わなかった。最初の反応は“遠慮するよ”だった。“いや、遠慮するよ。今はエンジェルでプレイしてるんだ”とかなんとか言ったら、彼女は電話を切ってしまった。俺は“え、ああ……ごめん”って感じだった」

サーゾはその後、深く考えもせずにやった愚かな行為だったと気付きます。ダブロウにこっぴどく叱られたという。自分でもやらかしたと分かっていました。そして翌日…

「まさか翌日、オジーから電話が来るなんて思ってもみなかったよ。翌日に二度目の電話がかかってきて“やった!”って感じだったんだ。

オジー本人が電話してきて、“よう、ランディがお前こそ適任だって言ってる。さっきまで凡庸な連中ばかりオーディションしてたんだ…”って言っていた。俺は“わかった!すぐ行くよ”って答えた。急いでたからランディが迎えに来てくれた。10日以内にツアーが始まるから、すべてをすぐにやらなければならなかったんだ。

そこにシャロンとトミー・アルドリッジがいて、俺はオジーの隣に座ってる。彼がランディのことを、どれだけ感謝していて、どれだけ大好きなのかを全部話してくれた。俺は思ったよ、“ここは居心地がいいな。ここには深い感謝と敬意が溢れている”ってね。最後にオジーはこう言ったんだ。“お前からは良いヴァイブを感じる。とにかく弾けるだけでいい”とね」

サーゾはあまりにも急だったため、オジー・オズボーンの曲をよく知らないまま来ていました。

「今なら10歳の子供でも、いや胎児でも、“Crazy Train”を弾けるよ。でも当時はさ、“聴いたことないよ!(笑)これから覚えなきゃ”って感じだったんだ」

彼には助けがありました。オーディションの前にローズが来て、「Crazy Train」と「I Don’t Know」を一緒に練習しました。彼らは急いで取り組みました。そうせざるを得なかったのです。1時間後にはオジーとバンドと一緒に演奏することになっていました。

「それがオーディション曲だったんだ。俺はそれを覚えなきゃならなくてさ。それからリハーサルに向けて車を走らせた。トミーと1回通して演奏すると、そのあとオジーとシャロンがやって来て、俺たちが2曲を演奏するのを聴いていた。オジーはバンドを見ながらね。

それからオジーがステージに上がって、もう一度その曲をやって、俺のほうを向いて、“なあ、この仕事やるか?”って言ったんだよ。俺は“やります!”って答えた(笑)。その瞬間、俺の人生はカラーになった。“うわ、すげえ!”って感じさ。ついにこの世界の住人になった気がした。これまで一緒にやった中で、最高にすごいミュージシャンたちとの仕事を手に入れたんだ」

オーディションに合格した後も、サーゾは自分がバンドに馴染めるかどうか不安でした。彼は1961年、まだ10歳だった頃、家族と共にキューバからフロリダに移住して以来、受け入れられるかどうかは常に彼にとっての大きな問題でした。

しかし、オジーはCircus誌のインタビューで、その疑念を即座に払拭しました。サーゾは当時を思い出し、安堵した気持ちをこう語っています。

「(雑誌を)開いたら“キューバ出身のルディ”って書いてあってね。それで“そうか、彼は俺がキューバ出身でも気にしないんだ”って思ったんだ。あれで確信が持てたんだよ」

また、オジーのバンドに加入した当時、サーゾはまだ金銭的に貧しかったそうですが、オジーとシャロンはそれを知ると、すぐに手を差し伸べ、彼らはサーゾに一緒に住もうと誘い、オジーはステージ衣装まで譲ってくれました。

「一緒にビリヤードをしていた時だ。オジーが俺をじっと見て、“お前にはロックンロールの服が必要そうだな”って言ったんだよ」

するとオジーはしばらく部屋を出ていき、ロッカーの服がぎっしり詰まったスーツケースを抱えて戻ってきて、それをビリヤード台の上に広げました。

「“好きなものを持ってけ”って言ってくれた。俺は“うわ、これ、この雑誌の表紙のジャケットじゃないか”って思ったよ」

オジーの親切に圧倒され、何も受け取れずにいると、オジーは断ることを認めようとしなかったという。オジーとシャロンの善意について、サーゾは「今まで誰も俺にそんなことをしてくれたことはなかった」と語っています。