
Yardbirds - 1964 Clapton era (Image credit: Michael Ochs Archives/Getty Images)
エリック・クラプトン(Eric Clapton)の
ヤードバーズ(The Yardbirds)時代を、当時のバンドメイトであるヤードバーズの
ジム・マッカーティ(Jim McCarty)が米Guitar Playerの新しいインタビューの中で振り返っています。
マッカーティは、1963年10月から、彼らの初ヒット曲「For Your Love」がリリースされた1965年3月まで、共に活動したクラプトンとの思い出を語っています。バンドのポップ路線に不満を抱いたクラプトンはヤードバーズを脱退。それから1ヶ月以内にジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズに参加し、『Blues Breakers With Eric Clapton』で英国を代表するブルースエレキギター奏者としての名声を確立しました。
マッカーティはこう話しています。
「(エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジのキャリア初期を特等席で目撃したことに)すごいことだよね。しかも時が経つほどにその価値は増していく。当時を振り返ると、みんなやり方を学んでいる途中だった。みんなチームの一員で、みんな、ああいう音楽を演奏しようとしていたし、楽しんでいた。3人ともまったくタイプが違っていたよ。
エリックは複雑な家庭環境で育った。実の両親に育てられたわけじゃなかった。彼を育てたのは祖母で、エリックはその人を母親だと思っていた。僕たちは彼女に会ったことがあるが、とても素敵な人で、おしゃべりが好きな親しみやすい女性だった。ただ、そのことが彼の物事の見方に影響を与え、彼はブルースを自分の個人的な使命のように捉えるようになったのだと思うよ。
彼は完全にブルースに傾倒し、同時にとても野心的で、ファッションや自分の見た目にも、すごくこだわっていた。いつも最新のアイテム、最もクールな服を身に着けるようにしていた。オーディションに来たときも、とても着飾っていた。それに、彼はよくスタイルを変える。最初はアイビーリーグ風で、クルーカットだったのが、急に髪を伸ばして、もみあげを伸ばして、違う服を着て、まるで別人のようになっていた。
エリックは明らかに成功するだろうと思っていた。いつか必ず大スターになる、そう確信していた。彼はそれを成し遂げようと突き進んでいたし、僕たちと一緒に演奏している間にも評判を高めていっていたからね。彼はよく、自分のスタイルを確立するまでは、マット・“ギター”・マーフィーとかバディ・ガイとか、ブルース・ソロを一音一音忠実にコピーしていた。彼はブルースを心から愛していて、そのことに関しては本当に、とてつもなく真剣だった。とはいえ、僕らとはよく冗談を言ったり、面白い声を出したり、物まねをして、ふざけたりもしていたけどね。
でも、彼はとても気難しいタイプだった。ツアーバスで移動中、ライヴに向かう車内で彼は隅っこに座って誰とも話さなかった。他のメンバーがふざけ合っている間、彼は自分だけの世界にこもって、明らかに現状に不満そうだった。
僕たちはヒット・シングルを出そうとしていた。正直かなり必死だったよ。彼が提案したシングルのアイデアや、様々な曲を試してみた。シュレルズがやった“Putty in Your Hands”とか、メイジャー・ランスの曲とか(タイトルは思い出せない)。“Hang on Sloopy”もそうだ、マッコイズが出す前に彼が提案してきたんだ。
どれも良い曲だったけど、ヒットにはならないと思った。“For Your Love”のように際立っていなかったしね。ポール・サミュエル=スミスが“じゃあチェンバロや弓で弾くベースとかを入れてやろう”と提案したとき、エリックはその方向性に不満だった。商業主義に走ったと思ったんだろうね。彼はジョン・メイオールのところには、わりと満足していたみたいだね」