名ドラマー、
サイモン・フィリップス(Simon Phillips)は英MusicRadarの新しいインタビューの中で、
TOTO時代を振り返っています。亡くなったジェフ・ポーカロの後任としてTOTOに加わったフィリップス。最初は「完全に部外者だった」そうですが、今は「本当に素晴らしい経験だった」と振り返っています。どのようにして真の一員となったのか語っています。
「バンドに入る前、レコードでジェフを聴いて“何歳なんだろう?”って思っていた。実際の年齢よりずっと大人っぽく聴こえたからね。彼は常にとても成熟したプレイヤーだった。みんな彼のことが大好きだったし、今でも彼の演奏は愛されている。本当に完璧なんだよ。
誰もがジェフが偉大なドラマーだと知っている。でも、僕がいつも心がけてきたのは――ザ・フーでケニー・ジョーンズの後任を務めた時もそうだったし、チャーリー (ワッツ) が演奏したストーンズの曲をミック・ジャガーと一緒にやった時もそうだったけど――僕は音楽的な観点、音楽としてどうあるべきかというところから入るんだ。とにかく曲を演奏するだけなんだよ。
僕はドラマーをコピーするためにそこにいるわけじゃない。TOTOが僕を招いた理由もそこにある。彼らは誰かに来てもらってジェフの真似をしてほしかったわけじゃない。正直言って、それは二番煎じになるからね。本物には絶対かなわない。
だから僕はいつだって“曲を演奏する”ことを選んできた。曲は同じだし、同じように聴こえるけれど、僕のアプローチは違うし、僕のサウンドも違うんだよ。
僕が加入した際、重要なのはジェフへの敬意だけでなく、音楽そのものへの敬意だった。そこが人々に理解されていない点だと思う。自分が演奏する音楽に敬意を払う必要があるんだよ。
個人的なことで言うと、ジェフには何度か会ったけれど、当時はそんなによく知っていたわけじゃない。TOTOに在籍した21年間で彼を知るようになった。実際、彼について――個人的ではなく、彼の音楽性について――深く理解するようになったんだ。
TOTOは本当に家族のように結束が固くて、僕はいわば“玉にキズ”みたいな存在だった。完全に部外者だったんだ。僕はロサンゼルスのヴァレーで育ったわけじゃない。ロンドンで育った。話し方も違うし、最初の数年はとにかく面白かったよ。僕が何か言うたびに、ほぼ毎回みんな“え?”って感じでね。
僕はドラマーだけでいたくなかった。プロデュースやエンジニアリングもたくさんやっていたから、単にドラムを叩くだけじゃなく、バンド全体の一部になりたかった。そうしないと、すぐに飽きてしまうからね。
お互いを知っていくうちに、みんなが“おお、君、そういうのもできるんだ!”って気づいてくれてね。それでミキシングも担当することになって、TOTOのアルバムを2枚録音したんだ(1999年『Mindfields』と2006年『Falling In Between』)。
ツアーのライヴ映像をDVD用にサラウンドでミックスもしたよ。僕にとっては、それこそがバンドにいる上で一番重要なことだった。やりたかったのはまさにそれでね。だからバンドの共同プロデューサーにもなった。素晴らしい経験だし、バンドの寿命も延ばせたと思うよ。
常にジェフへの敬意があったし、そして何よりも音楽、特に初期の音楽への敬意が根底にあった。それから僕は新しい音楽制作の一員となり、共同作曲家にもなれた。本当に素晴らしい経験だった。本当にうまくいったよ」