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元ウイングスのローレンス・ジューバー、80年訪日時のポール逮捕を改めて回想

2025/10/13 21:38掲載
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Paul McCartney, Laurence Juber
Paul McCartney, Laurence Juber
ウイングス(Wings)のギタリスト、ローレンス・ジューバーは(Laurence Juber)米Guitar Playerの新しいインタビューの中で、1980年1月に予定されていたウイングスの日本公演のために訪日したポール・マッカートニー(Paul McCartney)が成田空港の税関で大麻取締法違反で逮捕された時のことを改めて振り返っています。

Q:アメリカツアーの話はありましたか?

「そうだね。もしポールが逮捕されていなかったら可能性はあった。1980年7月に“Coming Up”が全米1位になっていたから、そのナンバーワン・シングルを引っさげてアメリカをツアーすることができていたはずだよ」

Q:ポールが逮捕されたとき、あなたはどこにいましたか? 実際にその場面を見たのですか?

「彼のすぐ隣に立ってたよ。ポールと彼の家族と共にロンドンからニューヨークへ飛行機で移動して、そこで週末を過ごしてから、東京へ飛んだんだ。だから成田の税関を通るとき、彼の隣に立っていたんだよ。税関の人が最後のスーツケースを開けて、中のジャケットを軽く叩いて、下に何かあるのを感じ取って、ジャケットを持ち上げたら、マリファナの袋が出てきたんだ。

その後、空港の奥深くまで連れて行かれて身体検査を受けることになった。ニューヨークにいる間に、僕は48丁目で1957年製のレスポール・ゴールドトップを手に入れていて、税関を通る時、それを手荷物として持っていた。係の人がドライバーを持って部屋に入ってきて、僕のレスポールを指さした。僕はトラスロッドカバーを外して、裏側まで見せて、中に何も隠していないことを証明しなけばならなかったんだ。

それでも、ツアーを続けられるんじゃないかと僕たちは期待していた。レゲエバンドが日本ツアー中に空港で捕まることは珍しくなかった。税関がマリファナを押収した後もツアーは続行できていたんだよ」

Q:しかし今回は違いました。ポールは勾留された。

「ええ、10日間もね」

Q:その間、あなたは何をしていたのですか?

「僕たちは基本的に、これから何が起きるのか様子見の状態だった。ポールが釈放されると、彼はイギリスに戻り、ジェフ・エメリックとクリス・トーマスと共にスタジオに入って、グラスゴー公演のミックス作業に取り掛かった。あの出来事で仕事への姿勢が崩れることはなかった。ポールは釈放されて“よし、これからカリブ海で1週間過ごそう”なんて言ったわけではないんだ。

その年には、新しい曲のリハーサルを行ったこともあった。彼は僕に、リンダと一緒にフランスに行って、リンゴと一緒に仕事をしてほしいと頼まれたんだ。それが後にリンゴのアルバム『Stop and Smell the Roses』になったんだよ」

Q:1980年12月にジョン・レノンが殺害されました。この2つの出来事がポールがウイングスを終わらせることに影響したと思いますか?

「確かに影響はあったと思うけどが、ほかにもいろいろあった。ポールとリンダと子どもたちはロンドンを離れてピースマーチに引っ越していた。仕事のためにロンドンまで車で通い、終わったら戻るという生活だった。『Back to the Egg』のレコーディング場所のひとつだったリムネ城は、彼らが移った場所から車で20分ほどの場所にあった。彼らにとってはとても便利だったけど、城にレコーディングスタジオを組むとなると、都合はあまりよくなかった。それでもどうにかやり遂げたけどね。

実際のところ、リンダには4人の子供の世話があった。大規模なワールドツアーをしていたので、僕の印象では、彼女は少し疲れていたのだと思う。ポールはColumbia Recordsと新しい契約を結んでいた。こうした複数の要因が重なり、ウイングスの活動は終焉を迎えつつあったんだ。日本での出来事は大きな要因だったと思うし、ジョンが亡くなった後は、ツアーのアイデアは10年近く、完全に選択肢から外れていたと思うよ」