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ムーディー・ブルースのジョン・ロッジ死去

2025/10/10 21:52掲載(Last Update:2025/10/11 02:04)
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John Lodge
John Lodge
ムーディー・ブルース(The Moody Blues)のベーシスト/ヴォーカリスト、ジョン・ロッジ(John Lodge)が死去。家族が声明を発表。82歳でした。

以下、声明より

「ジョン・ロッジのご家族からの発表です。

私たちの最愛の夫、父、祖父、義父、そして兄弟であるジョン・ロッジが突然、思いがけない形でこの世を去ってしまったことを、深い悲しみとともにお知らせいたします。この大きな心の持ち主を知っている方ならどなたもご存知のように、彼にとって最も大切なものは、妻のキルステンと家族への変わらぬ愛であり、それに次ぐのが音楽への情熱と信仰心でした。

彼はステージに立つことが何よりの喜びでした。彼は“ただのロックンロール・バンドのシンガー”でしたし、自身のバンドや義理の息子でイエスのヴォーカリストであるジョンとともに演奏したり、ファンの皆さんとこの音楽を共有し続けられることを、心から愛していました。娘のエミリーや息子のクリスチャンと共に仕事ができたこと、そして孫のジョン=ヘンリーがサッカーをする姿を見守り、いつかバーミンガム・シティでプレーすることを夢見る時間は、彼にさらに大きな喜びをもたらしました。

ジョンは、愛する家族に囲まれ、エヴァリー・ブラザーズとバディ・ホリーの音に包まれながら、穏やかにこの世を去りました。彼の愛、笑顔、優しさ、そして揺るぎなく尽きることのない支えを、私たちは永遠に恋しく思うでしょう。私たちの心は張り裂ける思いですが、彼が一人ひとりに注いでくれた愛に包まれながら、平穏へと歩みを進めます。ジョンがいつもライヴの終わりに言っていたように“信じ続けてくれてありがとう”。

これ以上のコメントは差し控えさせていただきますが、多くの人々の人生に触れたこの素晴らしい人物を偲ぶ間、ジョンの曲“Whispering Angels”を皆さまにお届けしたいと思います。」





ジョン・ロッジは1948年、英バーミンガム郊外で生まれる。ロックンロールの黎明期に魅了された彼は、60年代初頭にバーミンガムのバンドで演奏を始め、まもなくムーディー・ブルースの創設メンバーとなるレイ・トーマスと出会う。1966年に同バンドの初代ベーシスト、クリント・ワーウィックが脱退すると、ロッジが後任として加入した。

デビュー最初期はR&B系グループとして活動していたムーディー・ブルースだが、ロッジと、ギタリストおよび共同ヴォーカリストのジャスティン・ヘイワードの加入後、バンドは、よりシンフォニックでプログレッシブ、サイケデリックなロックへと方向転換した。新体制初のアルバム『Days Of Future Passed』(1967年)は、ロックとオーケストラの融合を果たしており、プログレッシブ・ロックというジャンルの最も初期のアルバムの一つであり、ロック音楽の最初のコンセプトアルバムの一つであるとされている。

60年代後半から70年代初頭にかけて、バンドのアルバムは成功を重ねていった。1970年の『A Question of Balance』、 1971年『Every Good Boy Deserves Favour』、1972年『Seventh Sojourn』でトップ5入りを果たし、1970年「Question」(21位)、1971年「The Story in Your Eyes」(23位)などのヒットシングルも生み出した。

また1967年に発売されたシングル「Nights in White Satin(邦題:サテンの夜)」は当初は全英19位のヒットだったが、1972年にラジオ局から人気に火がつき、英米などで大ヒットを記録し、彼らの代表曲となった。

1970年代前半にバンドは活動休止に入った。70年代後半に活動を再開すると、80年代を通じて、よりポップで、弦楽器よりもシンセサイザーを主体としたサウンドで成功を収め続けた。90年代には商業的成功は減退したが、21世紀に入ってもツアーは成功を続け、ロッジは2018年に活動休止するまで中核メンバーとして在籍した。ロッジは1965年のデビュー作『The Magnificent Moodies』を除く全アルバムに参加した。

ロッジは2018年にはムーディー・ブルースのバンドメンバーと共にロックの殿堂入りを果たした。