
Glenn Hughes (Image credit: Leo Baron)
ディープ・パープルなどで知られる
グレン・ヒューズ(Glenn Hughes)は
エレクトリック・ライト・オーケストラ(Electric Light Orchestra / ELO)への加入を打診されたことがありました。ELOのマネージャーが怖くてノーと言えなかったというヒューズ。ELOには入れないと断りの電話を入れたのはヒューズの母でした。英Classic Rockの新しいインタビューの中で振り返っています。
「1971年頃のことだよ。ロイ・ウッドとよく一緒にいたんだ。ちょうど彼の前のバンド、ザ・ムーブが解散しかけていた時にね。ロイは俺の親しい友人の一人で、彼は明らかにそれがうまくいくかもしれないと考えていたようだよ。
(ELOのマネージャー)ドン・アーデンが俺に会いに来て“話せないか?”と言った。彼は俺をロールス・ロイスの後部座席に座らせ、葉巻を吸いながらELOに入らないかと尋ねてきた。怖くてノーと言えなかったから、(おとなしく)“もちろん”と答えた。本当はやりたくなかった。1週間後、母がロイ・ウッドに電話して、“ロイ、彼が精神的に参ってるのよ、ELOには入りたくないって”と伝えてくれた。ELOに入れないとロイ・ウッドに言ったのは、母だったんだよ。
(インタビュアー:グレン・ヒューズが入ったELOは、どんなサウンドになっていたでしょう?)
ロイとジェフ(リン)という、とんでもなく優れたソングライターでありリーダーが2人いて、彼らは俺にシンガー兼ベーシストになってほしいと思っていたんだ。
(インタビュアー:それはどんな感じだっただろう?)
俺はR&Bの人間だ。うまくいったかどうかはわからない」