
Scott Reeder (Image credit: Chris Miller)
メタリカ(Metallica)がジェイソン・ニューステッドの後任を探していた時、有力候補のひとりが
カイアス(Kyuss)等の
スコット・リーダー(Scott Reeder)でした。リーダーはGuitar Worldの新しいインタビューの中で、メタリカのオーディションを受けたときのことを振り返っています。
最終的にはロバート・トゥルヒーヨが選ばれましたが、彼はメンバーに「もしメタル・オリンピックみたいなのがあったら、俺は銀メダルは取れたってことだよね。悪くない」と語ったそうです。
リーダーはこう話しています。
「彼らの組織の人から興味はないかと聞かれたんだ。たぶん、ジェイソンが脱退した直後くらいだったと思う。当時は(米ストーナーロックバンド)Unidaのレコーディングの真っ最中だったから、“ありがとう、でも今はこれをやり遂げなきゃいけないんだ。今まさに真っ最中なんだよ”と答えたよ。
それから少なくとも1年後、また電話が来た。今度はラーズ・ウルリッヒからだった。
俺と妻は50エーカー(東京ドーム約4.33個分)の牧場を所有していて、俺は外でカビの生えた干し草を手押し車にシャベルで積んでいた。そしたら妻が電話を持って出てきて……いたずら電話だと思ったらしいよ。
トゥールのメイナード(ジェームス・キーナン)から、いたずら電話がよくかかってきてたんだ。彼女は“ラーズ・ウルリッヒだって言ってる”って、呆れたような目をしていた。俺が電話に出たら、本当にラーズ・ウルリッヒだったんだよ(笑)。彼はこう言ったんだ。“やあ、ちょっと動かなきゃいけなくなってさ。ベーシストを選ばないといけないんだ。君が数日間ジャムしに来てくれたら最高だよ”。
そのとき俺は“マジかよ、最高じゃん”って感じだった。でも、最初の週末のオーディションは受けなかったんだ。“1週間待ってほしい、その間にいくつか曲を覚えるから”と言ったんだ。たしか1週間くらい準備期間があって、たぶん20曲くらいは覚えたと思う。それから本部に行って、テーブルを囲んでミーティングをしたんだ」
そのミーティングはドキュメンタリー映画『Some Kind of Monster』に収められています。
「彼らにはライフコーチのフィルがいて、何にでも関わっていた。しばらく一緒に歩いて、それから中に入ってジャムることになったんだけど、名曲を弾くのはすごく楽しかったよ。翌日には彼らはレコーディング・モードに入り、“Some Kind of Monster”の作業中、俺はジェイムズ・ヘットフィールドの隣のソファに座りながら、彼がヴォーカルを録音するのを見てた。
俺が“ここにいて大丈夫?”って聞いたら、彼は“もしダメなら言うさ、気にすんな”と言ってくれた。だから、俺はヘットフィールドの隣に座って、アルバムのヴォーカル録音に立ち会えたわけだよ。あれは本当にクレイジーだったね。
別れを告げた時、いつかまた戻ってくるような雰囲気だった。カーク(ハメット)は“ お前とはこれで終わりじゃないぜ”と言ってくれた。それからたぶん1ヶ月後、メンバー全員と電話会議をした。
彼らはこう言った。“やあ、元気にしてるか? 知らせたいのは、俺たちは仲間を見つけたということなんだ。でも君は一生家族だ。君が関わりたいことには何でも関われる。連絡してくれ”とね。
それで終わりだった。30分くらいしてジェイムズがまた電話をくれて、“本当に大丈夫か?”って聞かれたんだ。
俺は彼にこう言ったんだ。“なあ、もしメタル・オリンピックみたいなのがあったら、俺は銀メダルは取れたってことだよな。悪くないね”」