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ランディ・ローズが亡くなった飛行機事故についてシャロン・オズボーン/トミー・アルドリッジ/ルディ・サーゾ語る

2025/09/23 13:09掲載
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Ozzy Osbourne and Randy Rhoads - Photo by Getty Images
Ozzy Osbourne and Randy Rhoads - Photo by Getty Images
ランディ・ローズ(Randy Rhoads)が亡くなった悲劇的な飛行機事故について、オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)の妻でマネージャーのシャロン・オズボーンが新しいインタビューの中で振り返っています。

米国のHuluで配信が開始されたヘヴィメタル・ドキュメンタリー・シリーズ『Into the Void』のエピソード1は「ランディ・ローズ」編で、ランディ・ローズの物語を取り上げています。シャロンをはじめとするランディの音楽仲間やコラボレーターたちが、ランディのレガシーと、彼の命を奪った飛行機事故について振り返っています。

シャロンのインタビューは、オジーの最終公演『Back To The Beginning』の数日前に撮影されました。

1982年3月19日、オジーと彼のバンド(ランディ・ローズ、ルディ・サーゾ、トミー・アルドリッジを含む)は、テネシー州ノックスビルからフロリダ州オーランドへと向かう途中、バスの壊れたエアコンを修理するために「基地」と呼ばれる場所に立ち寄りました。

シャロンは、そのバス会社がヘリコプターや小型飛行機のレンタルも行っていることを知らなかったと語っています。

シャロンは「仕事に関係のない人物」をバスに同乗させることは彼女のルールに反することだと話していますが、ツアーマネージャーはバスの運転手の妻をバスに同乗させることを許可していました。

シャロンとオジーはその時眠っていましたが、シャロンは後になって、バスの運転手が飛行機のパイロットでもあり、一行を飛行機に乗せてあげると申し出たことを知らされました。この運転手/パイロットはコカインをやっていました。

ランディと、オズボーン家のスタッフでシャロンが母親のように慕っていたメイクアップアーティストのレイチェル・ヤングブラッドが飛行機に乗ることに同意しました。

トミー・アルドリッジ(Tommy Aldridge)は運命の日を振り返り、紅茶をいれようと起き上がったところで、衝撃を感じたと振り返っています。後に判明したことですが、この時、飛行機の片方の翼がバスの上部に接触しました。この衝突でバスの天井に穴が開き、アルドリッジはグラスファイバーの匂いがしたと語っています。

衝撃でオジーとシャロンは目を覚まし、シャロンは燃料の匂いを感じ、まるで全てが悪夢のようだと感じたと振り返っています。「まるでホラー映画のようで、体の一部が......ツアーマネージャーに向かって叫びながら、靴を脱いで彼の頭を叩いたのを覚えています」

トミーはシャロンは怒りも覚えています。「シャロンはランディとレイチェルが亡くなったと気づいた時、完全に取り乱した。ツアーマネージャーに叫びながら詰め寄って“どうしてあの子を飛行機に乗せたの!”と叫んでいたんだ」

警察の事情聴取を受けた後、一行は近くのホテルへ向かいました。ルディ・サーゾ(Rudy Sarzo)は慰めを求めて教会へ歩いている時、「泣き叫ぶ声、うめき声、苦悶の叫び」を耳にしました。見上げると、それは既に教会の中にいたオジーでした。

シャロンは泣きながら語り続けます。

「私たちは皆、長い間、本当に長い間ショック状態にあった。そして私はランディの母親に説明するために、事の次第を整理しなければなりませんでした…。これで、なぜ私がランディの話をしたくなかったかがわかるでしょう」

シャロンはその後、ランディの死後、もしオジーがツアーをやめたら「二度と彼をステージに戻せなくなるのでは」と「恐怖に駆られた」と語っています。

ルディはこう付け加えています。

「シャロンがすべてをまとめ、全てを動かし続けたんだ。もしオジーが家に帰り、ツアーをキャンセルしたら、彼は酒で死んでしまうと、みんな分かっていた」

バンドはツアーを続けたものの、トミーによると、以前と同じではなかったという。「ランディはバンド全体の心臓部だった。それが失われてしまい、つらかった」

その後もオジーはランディを称え続けました。シャロンはこう話しています。

「私はいつもランディのことを考えていて、彼が忘れられていないことを嬉しく思っげいます。音楽ファンは彼について知りたがっています。彼は多くの人に深く知られていない神秘的な小さな存在になり、永遠に生き続けるでしょう。音楽は決して死なないものです。私たちが去った後も、音楽は生き続けるでしょう」