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バディ・ホリーのコラボレーター ザ・クリケッツのソニー・カーティス死去

2025/09/21 21:32掲載(Last Update:2025/09/21 21:33)
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Sonny Curtis
Sonny Curtis
バディ・ホリー(Buddy Holly)の友人/コラボレーターとして知られ、ザ・クリケッツ(The Crickets)のメンバーとしてロックの殿堂入りも果たしたソニー・カーティス(Sonny Curtis)が死去。娘のサラ・カーティスによると、9月19日に急病のため亡くなりました。88歳でした。

ソニー・カーティスはテキサス州出身。音楽一家に生まれる。15歳のときにバディ・ホリーと出会い、彼とグループを結成し、エルヴィス・プレスリー、ジョニー・キャッシュ、カール・パーキンスなどの伝説的なアーティストの前座を務め、ホリーのいくつかの録音でギターを演奏した。彼はホリーを離れてスリム・ホイットマンのツアーに参加した後、1958年にホリーのバンド、ザ・クリケッツに加入した。それは、1959年2月にホリーが飛行機事故で亡くなる直前のことだった。

カーティスはザ・クリケッツのフロントマンを引き継ぎ、1960年後半、バンドはホリー没後初のアルバム『In Style with the Crickets』をリリースした。このアルバムには、カーティスの代表曲の一つで、後にボビー・フラー・フォー、ザ・クラッシュ、グリーン・デイらがカヴァーした「I Fought the Law」、そしてボビー・ヴィーやレオ・セイヤーがヒットさせた「More Than I Can Say」(ジェリー・アリソンとの共作)のオリジナル・ヴァージョンも収録されている。

カーティスは1959年に陸軍に徴兵され、基礎訓練中に「Walk Right Back」を作曲した。3日間の外出許可中に、当時エヴァリー・ブラザーズのドラマーを務めていたアリソンにこの曲を聴かせた。アリソンはすぐに兄弟に持ち帰り、1961年にエヴァリー・ブラザーズが大ヒットさせた。

カーティスは、米国で1970年から7年間にわたって放送された大ヒット・シットコム『メアリー・タイラー・ムーア・ショウ』の主題歌「Love Is All Around」も手がけた。

カーティスは1991年にはナッシュビル・ソングライターの殿堂入りを果たしている。