オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne) のバンドをジェイク・E・リーが辞めた時、後任候補の一人として、後にサヴァタージ/エイジア/メガデスなどにも在籍した
アル・ピトレリ(Al Pitrelli) が検討されていたという。ピトレリ本人が、米ラジオ局『96.9 The Eagle』の番組の新しいインタビューの中で明かしています。
オジーと交流があったかどうかを尋ねられたピトレリはこう話しています。
「一度だけね。ずっと昔のことだけど、ジェイク(E・リー)が(オジーの)バンドを辞めたとき。いつだったかはもう覚えていなけど、たぶん87年か88年だったと思うよ。マックス・ノーマンはオジーのプロデューサーで、『Blizzard Of Ozz』と『Diary(Of A Madman)』を手がけていたはず。僕はマックスとは知り合いで、彼から電話がかかってきて、“ジェイクの後任候補として(オジーの妻でマネージャーの)シャロンに君を推薦するつもりだ”と言われたんだ。僕は“マジか、素晴らしい!”と思った。
(そのあと)偶然だけど、ニューヨークのどこかでシャロンとオジーに会ったんだ。“お邪魔してすみません”と言って自己紹介した。“僕の名前はアル・ピトレリです。マックス・ノーマンがオーディション候補者の一人として僕の名前を挙げてくれました。機会をいただきありがとうございます。結果がどうであれ、皆さんのご成功を祈っています。大好きです。尊敬しています”。
すると、オジーはうなずいて微笑み、シャロンはとても丁寧に僕の手を握ってくれて、“ありがとう”と言ってくれた。それが彼らと話した最初で最後の機会だった。有名な写真家マーク・ワイスがザック(ワイルド)を推薦し、ザックが部屋に入ってきた瞬間に決まったからね。当時のオジーにとって、ザックは完璧な選択だった。もし僕かザックのどちらかを選ぶなら、その時のオジーにはザックが必要だったんだよ。
(インタビュアーがピトレリが候補に挙がっていたことを知って驚いていると)
嬉しかったよ。そういうレベルで僕を見てくれたということがね。僕はまだそのレベルに達しているとは思っていなかった。ランディ・ローズやジェイク・E・リー、そして後にザック・ワイルドの名前が出てくるわけだからね。“みんなが僕に注目してくれている。もっと一生懸命努力しなければ”と思ったよ。そのすぐ後にスティーヴ・ヴァイがデイヴィッド・リー・ロスのバンドで彼の後任として僕を推薦してくれた。デイヴは“お前とやる”と言ってくれたけど、彼は映画の撮影で忙しくなってしまった。その後、スティーヴはアリス・クーパーが音楽監督を必要としていたときに僕を再び推薦してくれて、アリスは僕を雇ってくれた。ずっと“恩返し”の連続だったんだ。昔からの仲間の間では、みんながお互いを支え合うものなんだよ。
(シャロンとオジーとの出会いについて)
シャロンはとても優しくて、本当に心からの笑顔だった。オジーは紳士だった、オジーらしくね。みんな親切で思いやりがあった。僕は飢えているわけではないけれど、この業界にどうしても入りたいと願うロングアイランド出身の若者だった。そんな僕を彼らは5分から10分間、とても優しく接してくれたんだ」
VIDEO