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ラリー・カールトン 「厄介な仕事だった」ジョン・レノン『Rock 'n' Roll』のセッションを回想 1日だけで辞退した理由は?

2025/09/16 19:36掲載
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John Lennon / Rock 'n' Roll
John Lennon / Rock 'n' Roll
ジョン・レノン(John Lennon)のアルバム『Rock 'n' Roll』にはギタリストのラリー・カールトン(Larry Carlton)が参加しているとされていますが、カールトンはThinking About Guitarの最近のインタビューの中で、「厄介な仕事だった」と振り返る同作のレコーディング・セッションは1日だけ参加した後に辞退したため、自身の演奏は最終版に採用されなかったと思うと語っています。

『Rock 'n' Roll』はオールディーズ・カヴァー集で、レコーディングは1973年から1975年初頭にかけて断続的に行われ、最終的に1975年2月にリリースされました。プロデューサーにはフィル・スペクターを起用しています。

1973年10月、ロサンゼルスでのレコーディング・セッションが開始されました。当時レノンはオノ・ヨーコと別居し、ロサンゼルスで「失われた週末」を過ごしており、レコーディングは飲酒が常態化し、混乱に陥っていました。

こうしたレコーディングの真っ最中、カールトンはアルバム制作のため1週間、A&Mスタジオに呼ばれました。セッション界の大物として彼の評判は、即座の依頼にも常に応え、常に完璧なプロ意識で臨むことによって築かれていました。そして彼は、スターの力量に関わらず、同じプロ意識を相手にも求めていました。

「プロデューサーのフィル・スペクターは、その週の5日間、毎晩7時から多くのミュージシャンを予約していた。その中にはレオン・ラッセルもいた」

しかし、7時が過ぎても、8時が過ぎても現れず、9時半になっても、まだレノンやスペクターの姿はありませんでした。

「(その間)レオン・ラッセルと僕は別のスタジオに入っていた。彼がピアノの前に座って、ちょっとしたジャムセッションをしていたよ」

レノンとスペクターが到着したのは10時頃で、その場の雰囲気は暗くなってきました。

「ジョンにとっては最悪の時期だった。彼は酒に溺れていた」

この夜のセッションで演奏する予定だった曲は、ラリー・ウィリアムズが1957年に書いて録音したロックンロールのクラシック「Bony Moronie」でした。

「12歳の時に“Bony Moronie”を弾いたことがあった。僕は小さな部屋にいて、ジョンはすぐそばにいた。彼は酒を飲んでいた。彼はコード進行を指示してきた。たった3つだけなのにね。 “A” ♪ I got a gal named Bony Moronie~ “D”ってね。僕は“わかった”って答えた。

最悪だったよ。本当に。プロフェッショナルじゃないし、期待してたものとは違った」

ようやく始まったと思ったらすぐに終わったように感じたというセッションが終わると、カールトンはラッセルをホテルまで車で送ることになりました。

「僕は“本当に最悪だな、ちくしょう”って言ったんだ。するとレオンはオクラホマ訛りで、僕を見てこう言ったんだ。“信じられないよな? 俺は明日の朝にはタルサに帰るよ”。

家に帰ってから真夜中にフィル・スペクターの事務所に電話して伝言を残したよ。“すみません、今週残りは行けません”とね。キャンセルしたんだ。そんな風に時間を費やしたくなかった。すごくクールな体験になったはずなのに…まあ、そういうこともあるさ」