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スコーピオンズ「Wind Of Change」を書いたクラウス・マイネ 平和な未来への希望を歌ったが「35年経った今、時計の針が逆戻りしているようでとても悲しい」

2025/09/16 17:16掲載
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Klaus Meine
Klaus Meine
スコーピオンズ(Scorpions)の伝記映画のタイトルにもなっている、彼らの代表曲のひとつ「Wind Of Change」。この曲を作詞作曲したヴォーカリストのクラウス・マイネ(Klaus Meine)は、英ガーディアン紙の新しいインタビューの中で、この曲の誕生について改めて語っています。

「西ドイツのバンドとして、1980年代後半にソ連で演奏できたことは特別なことだった。俺たちは分断された国で育ち、東ドイツでの公演を何度も試みたが、決して入ることは許可されなかった。当時、レニングラードで初めてライヴを行ったとき、やや陰鬱で、雰囲気はカラフルでもロックンロールでもなかったが、街で10回のライヴを重ねるうちに人々の心は次第に開かれていった。最終的にはビートルマニアのような熱狂となり、公演のたびにファンが我々の車を囲んだ。

レニングラードでは、KGBに監視されていることに気づいた。だが翌年、モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバルで演奏したとき、スタジアムにいた兵士たちはバンドの方を向いて歓声に加わり、観客の一部となった。まるで世界が目の前で変わっているかのようだった。ミハイル・ゴルバチョフがクレムリンに現れ、ペレストロイカとグラスノスチ(情報公開)が進む中で、このロシア版ウッドストックが実現した。西洋のロックを聴いただけで刑務所に送られていた時代があったなんて信じられなかった。今やロシアの観客が“Rock You Like a Hurricane”に熱狂していたからね。

帰国後の9月、小さなキーボードをいじり始めた。“Wind of Change”は空想の産物ではなく、魂の奥深くから湧き上がる、自分が経験したことを表現しようとした曲なんだ。歌詞にはモスクワの名所が登場するが、それはフェスティバルで演奏した際、すべてのバンドがモスクワ川をボートで下り、ゴーリキー公園まで行ったからなんだ。

口笛は俺が曲を書いているときにギターがなかったから。後にアメリカのレコード会社から電話があって“口笛を削除しろ”と言われた。俺は“絶対にダメだ”と返した。曲が大ヒットすると、同じ男が俺のところに来て、頭を下げて“クラウス、私が間違っていた。許してくれ、俺の尻を蹴ってもいい!”と言っていたよ。

マティアス・ヤプスはヘンドリックス風の素晴らしいギターイントロを弾き、ルドルフ・シェンカーは素晴らしいギターソロを披露した。全てが完璧に調和したんだ。だけど、俺たちの誰も“Wind of Change”の政治的な側面について考えていなかった。誰も大計画なんてなかった。俺にとっては、ただ目の前で起きた変化、空気の変わり目を映した曲に過ぎない。平和な未来への希望を歌った曲で、あの歴史的瞬間に完璧に合致していた。

ニューヨーカー誌の真面目なジャーナリスト、パトリック・ラデン・キーフが“CIAが冷戦終結のためにWind of Changeを書かせた”という説を俺に突きつけてきた時は、笑うしかなかった。そんなことは夢にも思わなかったよ。でも結局、彼の主張はこの曲の大きな宣伝になった。

“Wind of Change”の歌詞の一節には“兄弟のように、私たちはとても近い存在になれるかもしれない”とある。それはまさにモスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバルで俺たちが感じたことだった。それから35年経った今、時計の針が逆戻りしているように感じる。とても悲しいことだ」