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ビリー・シーン MR.BIGが90年代のグランジ台頭をどう乗り切ったか語る 米国人はそれが米国の現象だったと理解していないと指摘

2025/08/25 20:31掲載
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MR.BIG
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MR.BIGビリー・シーン(Billy Sheehan)はNashville On The Rocksの新しいインタビューの中で、MR.BIGが1990年代のグランジ台頭をどう乗り切ったかを振り返る中で、米国人はそれが米国の現象だったということ理解していないと指摘。自分たちはたしかに米国では苦戦したが、日本や他のアジア地域ではグランジ・バンドを大幅に上回る売上を記録したと語っています。

「僕たちはすぐに気づいたよ。アメリカではすぐに苦戦するようになってしまった。ツアーとか、そういうものもほとんどなかった。でも、グランジ・ムーブメントについて(アメリカの)人々に理解されていないのは、それがアメリカの現象だったということ。

だから日本では“なぜみんな古着を着て悲しそうな顔をしているんだ? 僕たちはMR.BIGを聴きたいんだ”という感じだった。実際、僕たちはパール・ジャムよりも40倍多く売れた。実際の統計だよ。(1991年の全米No.1シングル)“To Be With You”の後の話だ。

僕はパール・ジャムが大好きだ。彼らは本当に素晴らしいバンドだ。彼らを軽視しているわけではない。ただ、彼ら(アメリカ人)は日本でのグランジ・ブームを完全に理解していなかった。東南アジアの他の地域、インドネシアも、タイも、韓国も、フィリピンも、台湾も、マレーシアも、シンガポールも、僕たちが演奏したすべての場所で、僕たちはまだ人気があった。ホテルのロビーに子供たちが集まって大騒ぎしていたよ。ヨーロッパでもそうだったけど、そこまでではなかった。それでもイタリアでは一時期、MR.BIGのコピー・バンドが5つもいて、彼らはMR.BIGの曲だけを演奏していたんだ。

僕たちは素晴らしい時期を過ごした。もしアメリカだけにいて、突然、僕たちのようなバンドがMTVから消え、別のバンドが現れたのを見ただけなら、知らないかもしれない。でも僕たちはその時期、本当にうまくやっていた。それは、僕たちのために海外市場を開拓してくれる素晴らしいマネージメントがいたから。だからインドネシアに行けば、素晴らしい成功を収めることができた。西洋のバンドが演奏したことのないインドネシアのいくつかの都市でも演奏したんだ」